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  第95話    「変な就職講座“つきしま村塾”」(後編)    
2001年1月10日。

“つきしま村塾”の創業の日だった。

この“つきしま村塾”。第94話でも書いたが、次のような学生に集まって
来て欲しいと考えていた。


●普通のイベントや就職講座では集まらないような、ましてや就職課などに
は、絶対顔を出さないような、ちょっと生意気でも、とびきり熱くて優秀な
人材。

●ちょっと茫洋としているけれど、『人』のことを語らせると、ムチャクチ
ャ熱い。就職活動のことなんて、あんまり考えていない。就職活動への興味
よりも、「社会に出る」ということそのものに関心がある。自分のことより
も、世の中のこと。今日のことよりも、明日のこと。


こういった価値観をもった人材に会いたいと考えて始めた塾だった。


初年度の「つきしま村塾塾頭」には、パフのイベントでいつも協力してもら
っている辻太一朗さんに就任してもらった(就任というほど大そうなもんじ
ゃないですが)。


僕は「主宰」ということで、ちょっと偉そうな感じのする立場だった。

そして、「書生」には、佐々木タカノリを就けた。書生というのは、要する
に「使いっぱ」だ。佐々木タカノリは、この時まだ内定者。4月の正式入社
を前に、ほぼ毎日会社に来ていた。当時大学5年生で、応援団出身というこ
ともあり、この「書生」の役目は、まさに「はまり役」だった。


つきしま村塾では、床に座布団を敷き詰めて、車座になって語り合うことを
基本のスタイルにしている。車座の中央には、一升瓶やつまみが置いてある。

「就職」の話題は原則としてなし。毎回設定したテーマに沿って、皆がとこ
とん語り合う。


こんな塾を開いて、いったい事業としてどんなメリットがあるのか?と問わ
れれば、「わかりません」と答えざるを得ないのだが、少なくとも学生には
大きなメリットになると思っていた。

でも、やっぱり普通の学生は、「この就職活動の忙しいときに、就職とは関
係ない話題を語り合うだけの場なんて無駄だ」と思ってしまうのだろうが…。



前置きが長くなってしまった。


と、いうことで、第一回目の“つきしま村塾”。10数名の学生が参加して
の語り合いが始まった。


車座に座布団が敷いてある。一升瓶が中央に置かれている。ちょっと異様な
光景だ。学生にとってはもちろん、我々にとっても初めての試みだ。


ちょっと緊張しながら会を進行していった。しかし、時間とともに、その緊
張感はなくなっていった。

理由はカンタン。

焼酎の一升瓶の効果だ。単なる「飲み会」になってしまったのだ。


でも、意義は大きかったと思う。

就職活動直前の時期に、「就職の先にあるもっと大事なもの」を考えること
の大切さに、学生も我々も気付くことが出来たからだ。


初年度の“つきしま村塾”は、その後、2週間に1回のペースで開催された。


こうして、企業からのスポンサー収入ゼロの、利益どころか赤字を生み出す
ための事業が、またひとつパフに増えてしまったのだった。

(社長!そろそろ真面目に儲けましょうよ……。つづく)

 
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