釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第61話> 「森の熊さんキムラさん(前編)」   2006/02/13  
 
小さな会社でソフトウェア開発の仕事をしていた20代の頃、社外で出会った 凄いエンジニアのことを先週のコラムでは書いた。でも凄かったのは社外のエ ンジニアだけではない。小さいながらも、僕が働いていた会社の中にも凄いエ ンジニアはいた。

わずか10数名しかいない小さな会社だったのだが、働いていたのは個性的な エンジニアばかりだった。そのなかでも最も個性的だったのが、今回登場のキ ムラさんだ。

キムラさんは僕よりも7歳年上。当時、ちょうど30歳になったばかりの中堅 エンジニアだった。無口な人で、僕とは別のプロジェクトの仕事をしていたこ ともあり、ほとんど口をきいたことがなかった。

もともとキムラさんはフリーのエンジニアで、正社員として働いていたわけで はなかった。なので、プロジェクトが進行中のときには会社にいるのだが、そ れ以外は顔を合わせることも少なかった。

・・・その時も、会うのは半年振りくらいだったと思う。バイクのヘルメット を片手に事務所に入ってきたキムラさん。顔を見てビックリした。


ありゃー、まるで森の熊さんだ!!


口のまわりから顎にかけて、一面黒々と髭をたくわえていた。それも実に見事 な髭。明治維新の英雄たちもビックリするくらいの髭だった。

そのころからだったと思う。キムラさんが僕と喋ったりお酒を飲むようになっ たのは。

キムラさんの仕事スタイルはとてもハッキリしていた。

毎朝、新横浜の自宅から、愛車のナナハン(750CCのオートバイ)に乗って颯爽 と会社にやってくる。皮ジャン姿でヘルメットを片手に「おっす」と、ぶっき らぼうな挨拶をしながら自分のデスクに座る。自分の部下たちに、パパッと指 示を飛ばし、その後自分も仕事に没頭する。

そして夕方6時。僕などは「あーあ、今夜も残業だなぁ。ラーメンの出前でも 取るか」と思っている時間だ。

「じゃあな、お先に!!」。そういってヘルメットを片手に、ささっと帰って いく。キムラさんの部下たちも、それに続いて帰っていく。

昔のSEやプログラマーといえば徹夜が当たり前の世界だったのに、キムラさ んのプロジェクトだけは、徹夜はおろか、残業している姿をほとんど見たこと がなかった。

僕が担当していたプロジェクトなどは、納期前になると一週間連続で寝泊りす るなんてことも珍しくなかったのに……。キムラさんは、よっぽど楽な仕事ば かりを選んでいるんだろうと思っていた。キムラさんのプロジェクトで働いて いるメンバーはラッキーな連中だなと、やっかみ半分で眺めていたものだ。

しかし、キムラさんが担当していたプロジェクトは「楽」な仕事なんかじゃな く、当時としては先進的な新聞社向けの画像処理システムだった。残業をしな いっていうのは仕事が楽なわけではなく、仕事の見積もりが正確で、無駄なく 無理せずテキパキと、スケジュールどおりに仕事を進めていたからだったのだ。

それが分かったのは、僕がエンジニアの仕事を始めて5年目。僕はキムラさん と一緒に仕事をしたことは一度もなかったのだが、一度だけキムラさんが納品 の作業で詰めていた新聞社まで届け物をしたことがある。その時に晩飯をご馳 走になりながら、キムラさんの「仕事哲学」を聞いたのだ。凄い、と思った。

僕はその直後、28歳で会社を辞め、ソフトウェア開発の仕事から足を洗った。 キムラさんとも、以来、顔を合わせることはなかった。

再会を果たしたのは、それから8年後。僕が「パフ」を創業しようと決意した 時だった。

(後編につづきます)
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