鉢嶺さんとのお付き合いは、「登龍門のプロモーション」や「オプトの新卒採用」を大義名分としながら、より深いものとなっていった。
しかし、大企業を何の未練もなく辞め、学生の頃からの目標だった「起業」を果たし、苦労しながらも楽しそうに社長業を実践している鉢嶺さんの姿が、僕にはとても眩しかった。
そういえば、自分もかつては独立・起業を考えたことがあった。リクルートを辞め、小さなベンチャー企業に入ったばかりの頃は、「いつかは俺だって……」と考えていた。そんなことを鉢嶺さんと会うたびに思い出していた。
気がつけば、僕は30代半ばの年齢を迎えていた。そこに突然、鉢嶺さんというチャレンジ精神に溢れながらも、いつも自然体で物事に取り組んでいる若き起業家が現れたのである。
僕は、鉢嶺さんと接するたびに「今からでも起業できないだろうか」との考えが、頭をもたげるようになっていった。
鉢嶺さんと出会って丸2年ほど経った1997年の春先だった。鉢嶺さんと二人だけで飲む機会があった。
五反田にある『望波亭』という行きつけの小さな串焼き屋さんで、鉢嶺さんに僕の「起業の思い」の話しをした。
「釘崎さんが独立するんなら、力になりますよ。エンジェルといって、出資をしてくれる人を紹介することもできますよ。大丈夫ですよ、釘崎さん。会社はその気になれば、いつでも作ることはできますよ」
こんなことを鉢嶺さんは僕に話してくれた。そしてこの話が実は、それから半年後に訪れる僕の大胆な行動の、大きな後ろ盾になっていたのだった。
そう。半年後に訪れる大胆な行動というのが即ち、僕の起業に向けた決意と会社設立に向けた行動なのである。
1997年10月。僕はリクルート時代の先輩に背中を押される形で起業を決意したのだが、実際問題、会社なんてどう作っていいやらさっぱり分からない。また会社を作ろうにも、資金などまったくない。
そんななか、親身に相談相手になってくれたのが、鉢嶺さんだったのだ。
「いやー、釘崎さんが会社を作るなんて、楽しみだな~」と、鉢嶺さんは自分のことのように喜んでくれた。そして、半年前の話しの通り、起業家の卵に出資をしてくれるというエンジェルを紹介してくれたのだった。
エンジェルのもとに一緒に訪問し、僕のことや僕が手がけようとしている事業の可能性を説明してくれた。鉢嶺さんの信用力は、その若さにも拘わらず、とても大きなものだった。
結果、その場で、このエンジェルからの出資の約束を取り付けることが出来た。資本金1千万円の半分を、このエンジェルからの出資でまかなうことが出来た。「会社設立」という夢が、実現に向けて大きく近づいた瞬間だった。
1997年12月12日、僕はパフを設立した。知識も資金も経験もまったくなかった僕が、れっきとした資本金1千万円の株式会社を作ったのである。まさに鉢嶺さんのおかげだった。
鉢嶺さんには会社設立時から4年間、パフの取締役を兼務してもらいながら、いろんな経営の相談に乗ってもらっていた。僕にとって、もっとも頼りになる「7歳年下の先輩経営者」だった。
鉢嶺さんが経営するオプトは、2004年、ジャスダックに上場を果たし、以降、驚異的なスピードで成長を続けている。今年は年商300億円に迫る勢いだ。
最近は会ったり食事をしたりすることも、さすがに少なくなってしまったが、つい3ヶ月ほど前、久々にゆっくり話しをする機会を得た。
クリクリッとした瞳と、爽やかな笑顔と、人の話しを真剣に聞く態度は、いわゆる大企業の社長のものではなく、出会った頃とまったく同じ、若き鉢嶺さんそのままだった。
ということで、通算49番目の出会いは、僕の独立とパフの創業に深く関わった人物。オプトの創業者であり社長の、鉢嶺登(はちみねのぼる)さんでした。
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