1983年4月。
僕が、感動の初受注をあげた直後、我がリクルート神田営業所は、それまでの
貧乏臭いビルから、神田駅前のメインストリートに面した大きなビルに引っ越
しをしました。
まだ新築間もないキレイなビルで、「売れない営業マン」の汚名を返上した僕
を含む営業所のメンバーたちは、気持ちも新たに仕事に取り組んでおったので
した。
当時の営業所メンバーは、仕事が終わると神田駅側の通称ビニールハウスと呼
ばれるビニールテントで囲われた屋台みたいなところで飲んで帰る(いや帰れ
ない日も多々ある)のが日課であり、本当は学生であったはずの僕は、すっか
り身も心も「新社会人」になった感じでした。
なかでも毎日のように一緒に飲み歩いていたのが、その年の新入社員になりた
てのムライミツルという営業マン(ムライさんについてはバックナンバーを
参照。日の当たる道を共に歩いた人です)。
当時のリクルートには、とても優秀な社員が多かったのですが、このムライミ
ツルという男には、「優秀」という形容詞で片付けてしまうにはおよそ収まり
きらない何かを感じたものでした。
僕の評価(ムライさん、エラそーにスンマセン!)は高かったものの、所長や
先輩社員たちの評価は、最悪もチョー最悪。
「ムライー…。ったく、まーたオマエカ!!」
詳しいシチュエーションは忘れてしまいましたが、何かと問題を起こす新入社
員だったのです。
(怒られてもすぐその後「ぶっ!」と営業所中に響き渡る屁をこくものだから
余計上司の受けが悪かったのだと僕は密かに推測しています)
そうそう、僕とムライさんは、毎晩一緒に夜遅くまで飲み歩いていたのですが、
翌朝は誰よりも早く(朝7:30頃)出社して、皇居までジョギングをやった
りもしていました。
何故ジョギング?なんてガラにもないことをやっていたのか今考えても、まっ
たくもって不思議なのですが…。
その他、ここではとても書けないような数々の悪行・珍行を繰り返していた変
なコンビでありました。
なんでこのムライミツルの話が創業物語に出てくるのか?
実は、後年、パフ創業に決定的な影響を与えた人物が、このムライミツルだっ
たんです。
この頃は、そんなこと夢にも思わず、所長・上司に睨まれながらも、楽しい営
業活動を送る毎日でした。
#このムライさん、パフ創業物語の最終回近くに再登場しますのでお楽しみに。
(次号は、またも運命の出会いにつづく)
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