STAFF COLUMN

スタッフコラム

自分の『当たり前』を疑うこと

作成日:2022.4.20

こんにちは!阿久根です。

 

4月に入り、パフにも新入社員が入ってきました。

また新しい風が社内に吹くことで、心なしか社内の雰囲気も新しくなったような気がしています!

彼女たちには、臆せず自分らしさを発揮していただければなと思う今日この頃です。

 

さて、今日のテーマは、「自分の『当たり前』を疑うこと」




今までのブログのように明確な答えがあるものではありませんし、正解もありませんが、

しばしお付き合いいただけると嬉しいです。

 

先日、パートナーと話をしていた時、ふとした流れから

「自分の良いところと弱いところってどこだろうね?」という話になりました。


 

すると、彼から

「普段“良いところ・弱いところ”という観点では自分を認識していない」

「その視点で考えようとすると自分が『ジャッジされている』感覚になってしまう」


という返答がありました。

 

とても驚きました。なぜなら、この会話をするまでの自分に、彼のような視点がなかったからです。

 

私としては日々、学生の皆さんと接する機会が多く、時には「自己分析」といった就活用語に落とし込んで「自分自身と向き合うこと」を良しとしていました。

 

自分自身を客観的に知ることが出来るものの、その枠組みの中に自分をはめ込んでいたのも事実。

良い時の自分を認めることが出来ても、「弱い自分」が出てくることに気付くと途端にしゅるしゅると力が抜けてしまい自信を失うこともありました。

毎日健やかに過ごして、試行錯誤していること、そのものの大切さを見過ごしていたのです。

 

そして、ある事に気付きました。

こういった自分自身の特性をアウトプットする機会は、現在の日本では

就職活動や転職活動、入学のための面接など「自分の進路を決めるための関門」がほとんどであるということに。

 

双方のマッチングが目的であることを理解はしていても、

求職者は「合格するかどうか」、会社側は「目の前の人が自社に合う人材だろうか」という考えがまず思い浮かんでしまうことは無理ないかと思います。

(実際、私はある学校に通うために先日面接を受けたのですが、『受かったか?落ちたか?』といった極めて本質的でない考えばかりが頭をめぐっていました(笑))

 

それくらい、双方にとって、

お互いのマッチングを確認する場で、互いに安心できる環境を整えることが難しい


ということなのだろうと思います。

 

自分自身の置かれている場所や価値観を「どこでも同じ」と思わないこと。

そして、相手の立っている場所から見てみる大切さ、おもしろさに気付けた出来事でした。

 

 
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