働く意味、について改めて考えてみる~ボリス・ヴィアン「日々の泡」を読んで~
作成日:2022.11.17
こんにちは。阿久根です。
もう11月も後半に差し掛かりましたね…!
1年はとっても早いなあと思う、今日この頃です。
最近の私は、少し早めの大掃除、ということで今住んでいるお部屋を模様替えしました!
それに合わせて、自分が好きなものに囲まれる生活をしようと、
アンティークの鏡を購入したり、小物の色を揃えたり、間接照明を取り入れたり…と
今までとは違うアクションを生活の中に取り入れることが出来て
毎日とってもうきうき、わくわくしています♡
さて、今回は「働くことの意味」について改めて考えることになった、
ボリス・ヴィアン著「日々の泡」(1947年)という小説のお話をしたいと思います。
あらすじ
メインの登場人物は資産家の息子(たぶん)のコランと、その恋人クロエ。自由を謳歌する2人だったが、ある日クロエは肺の中に睡蓮の花が咲いてしまう病気にかかってしまう。その病気が治るためには大量の花を病床に置くことが必要という医師の指示を守るため、花を手に入れるお金を作るためにコランは慣れない「労働」にはじめて向き合うことになる…
この物語では、恋愛が情熱や楽しさ、自由の象徴であることと対極に
労働はしなければならないもの、制限を受けるもの、といった束縛の象徴として描かれています。
働くことについて考えなくても生きてこられたコランが、
愛する人のために自分ができることを考えざるを得ない状況に陥った。
その手段が、労働だったという展開で話が進んでいきます。
コランが労働に対しどういう印象を抱いているか、この物語の中では語られていません。
しかし、私はこの本を読んで、働くことについての意味をどのように自分で意識するのか、ということについてとても考えさせられました。
はじめから意義深いものとして理解していなくても良い。
働きはじめても、その意味を必ずしも高尚なものとして持ち上げる必要もない。
働くことの意味は、ただ、自分のそばにあって、日々自分が変化していくのと同じように
変容していくものなのかな、というメッセージを受け取りました。
そして、意味を自分で見出すのではなく、環境や相手の存在といった、外部から与えられることもある、とも感じました。
人生の中で長く関わる「労働」に対して、前向きに取り組むことに越したことはないけれども、その意味は自分で決めるということ。
分かりやすいものが求められる時代ではありますが、そういった些細なことを一緒に考えながらキャリア支援が出来たら良いな、と考えています。
この物語はとても悲しいけれど美しいお話ですので、興味ある方いらしたらぜひ読んでみてください。