全員先生。世代を超えた対話を通じて感じたこと
作成日:2024.6.10
こんにちは。パフの田代です。
私は仕事以外にも幾つかのコミュニティに属しているのですが、今年知り合った「ウェルビーイング勉強会」の仲間と2週に1回程度、近況報告としてオンラインでおしゃべりしています。このメンバーの属性が、日常では決して出会えないような人たちでとても刺激的です。
例えば、18歳の男子高校生が一人います。
大学進学、生徒会、人間関係など青春真っただ中の彼が抱える悩みや葛藤、そして真摯に生きる日常は、本当に考えさせられますし、自分だったらどう考えるかな?と初心に立ち返る機会になっています。
先日、高校生の彼と話しているとこんな話題が出ました。生徒会で学校の「校訓」を考えることになったが、うまく合意形成ができないという話です。私や他のメンバーはその話に聞き入り「いや、これって社会人でも難しい合意形成のプロセスを進めているよ、本当すごい!」と盛り上がったんですね。
ここで何が言いたいかというと、高校生であっても、社会人であっても…何かのコミュニティに属し、試行錯誤しながら物事を進めていることは、まったく変わらないということ。
確かに、社会人は、学生時代の合意形成や意思決定よりも、ステークホルダーに与えるインパクトや規模感の大きさはあります。社会的責任の重さもあります。でも使う脳や議論を創発・収束させるプロセスに違いはあまり感じられなかったのです。
いや、むしろ、知見が豊富な社会人の方が「共通言語を作りやすい環境である」ことや「価値観の多様性を受け入れる下地がある」ので、議論は進みやすいのではないか。「校訓を決める」だなんて、会社でいうパーパスの設計みたいなもの。意識もバラバラな中、学生生活で、こんなに難しいことに取り組んでいるなんて、素晴らしいチャレンジじゃないかと、感心してしまいました。
私は今、株式会社パフで、大学生の就職支援にも関わっています。この仕事をしていると、学生だから…社会人だから…とそれぞれの属性で物事を考えがちです。しかし、レイヤーを一つ上げて考えると「同じ人間」であり、課題への関わり方やコミュニケーションの取り方に大きな違いはないということも頭に入れておく必要があります。
私自身、仕事やプライベートで老若男女問わず、様々な人と関わり続けていると、本当に素晴らしい個性や特技を持っている人ばかりだと気づき「全員、私の先生」と感嘆する日々です。役割の違いはあれ、どっちが凄いも偉いもない。むしろ全員から学びたい。そんな気持ちになります。
私たちは日々、様々な人に囲まれて生活していますが、個々の個性や価値観、そして言葉の背景を丁寧に聞いていくと、新たな尺度が生まれる脳の創発音が聞こえてきます。
全員先生。
そんな気持ちで、公私ともに感謝と敬意をもって過ごしたい。
高校生との対話の時間は、私の生活の一部になっています。