STAFF COLUMN

スタッフコラム

演劇と仕事。内発的動機に基づく努力について思うこと。

作成日:2024.6.17

どうも、大岡です。

演劇と離れて随分経ちます。
コロナの前に予定されていた公演が中止になり、
コロナが明けてからも劇団員の都合や劇場の都合が噛み合わず、未だ復活公演は具体化していません。
若手にも私が舞台に立っているところを観たことがない人が増えてきました。





誓って、辞めたわけではありません。
が、休んでる間は当然仕事にコミットの比率が高まるわけで、以前のように19時から役者モード!と切り替えられるのか?
そもそも老いた頭でセリフを覚えられるのか?
不安しかありませんが、予定もないので一旦忘れます。

そんな演劇繋がりで最近思った事。

演劇で舞台に立つ時、私は結構お笑い担当になることが多く。
台本には笑いをとるべく書かれているセリフがあります。
しかし、これを役者が面白いでしょ?という空気で演じてしまうと全く笑えません。
そのセリフが出てくるシチュエーションを必死に生きているキャラクターが舞台にいるから、シンプルに言えば狙わないから笑えるのです。

仕事においても近しいことがあるなと感じます。
これをやったら評価されるはず、というやつです。

そういう意図が見え隠れすると、とても残念な気持ちになります。
本当はお前ならもっとやれるんじゃないの?と思う事もあるし、それ今やらんでもいいだろ?と思う事もあります。
これが勝手に頑張ってる人にはそんな事考えもしないのですよ。頑張ってるなぁと、それで終わり。

そもそも褒められたい人もいうのは、俺に言わせると安心したい人です。
なので褒められると安心してしばらく歩みを止めます。
さらに、褒められるべきだと自分で思っているのに褒められないと情緒不安定になります。
非常にめんどくさい。

何を隠そう以前の私はまさにこれでした。
そして芝居においても笑いを狙いに行って滑ってました。

今は演技も仕事も評価を求めて頑張っているうちは底がしれている気がします。
内発的動機に基づいて頑張りたい気持ちを前面に出し、一所懸命に頑張っている人が素敵です。
意図しないからこそ大きな影響力が発揮される。
パフにはそういう人がたくさんいるので尊敬し、参考にしています。
※そんけいとさんこうで韻を踏んでいます。チェケラッチョ

結局のところ、自分の評価を決めるのは自分自身。
周りに何を言われようと、頑張った時は頑張ったな!と自分を褒め、サボった時はサボったね、その分次頑張らなきゃね。と自分を戒める。
俺のこの部分は誰にも負けない素敵ポイントだが、こっち系になると申し訳ないくらい出来損ないだからみんな助けてー。
それでいいと思うのです。

精一杯な人と精一杯で仕事ができる幸せを毎日噛み締めて生きていきたい52歳、夏。

 
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