何話かにわたって23年前のリクルート神田営業所を舞台とした出会いの数々
を書いてきた。どの出会いも、いまの僕が僕であるために、かけがえのない出
会いだった。
しかし、今回登場する人物ほど僕に大きな影響を与えた人はいない。この人物
と出会っていなければ、僕はおそらく今ごろ、ぜんぜん違う道を歩いていたは
ずだ。もちろん「パフ」という会社を創ることもなかったであろう。
とはいうものの、23年前の出会いのときに、この人物がそれほどの(僕の人
生にとっての)重要人物になるだなんて思うはずもなく……。ただただ、23
年前の今ごろは、いっしょに悪さばかりをしていた。
その人物の名前は、M井ミツルという。僕が初めてM井さんに会ったのは、僕
が神田営業所で働き始めたばかりの2月のあたま。M井さんはリクルートの内
定者として、神田営業所で企業向けの営業を担当していた。仕事内容は、僕と
まったく同じだ。M井さんは当時、大学4年生。僕よりも1歳年上のM井さん
と僕は、なぜだかすぐに仲良くなった。
僕が神田営業所で働き始めた頃、僕はまったく売れない営業マンだったという
ことは、前回までのこのコラムでも書いてきた。
M井さんも、(僕ほどではなかったにしろ)内定者としてはとても出来の悪い
営業マンだった。しかも、売れていないことをまったく気に留めるでもなく、
一日中お気楽モードで過ごしていた。
当然上司のウケもよくない。怒られて席(僕のとなり)に戻ってくるなり、い
つも「ぶっ」と屁をこく悪い癖が、ウケの悪さに拍車をかけていた。
ある日、そんなM井さんが、僕に見込み客を紹介してくれるという。M井さん
の親戚が重役を務めているK社という会社だ。アパレル関係の企業で、ブラン
ド力もそこそこある。
「おう、クギサキ。この会社、新規一発受注だ。売上げはオレとおまえで山分
けだな。ま、ざっと1千万円は軽いかな♪」
K社への訪問の日が来た。僕とM井さんは、肩を並べて意気揚々と、その会社
の本社がある東神田方面まで歩いていた。2人の頭のなかには、K社の人事担
当者がその場で申込書を書くシーンと、僕らの棒グラフがグングンと伸びてい
る情景がありありと浮かんでいた。
(中編につづく)
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