釘さんの100の出会い プロフィール
バックナンバー一覧へ
 
  <第76話> 「求人サイト『登龍門』で出会った人々(その6)」   2006/05/29  
 
1995年。『登龍門』を正式にオープンする前のことだ。僕は登龍門の掲載 社数を増やしていくために、企業の人事部のリスト収集に力を入れていた。

特にリストのなかでも注目していたのがFAX番号のリスト。

住所のリストだと、ハガキや封書のDMを送るということになるのだが、印刷 物や郵便代でコストがかかりすぎる。

また電話番号があったとしても、一件一件、電話で営業するには時間と労力が かかりすぎる。

ところがFAXであれば、コストも時間も労力も、ぐっと軽減される。しかも、 一度に複数の会社に配信する「一斉同報サービス」というものがこの頃より登 場しており、例えば1万件のリストであっても、わずか1分程度で、すべての 箇所にFAX配信できた。

このFAX一斉同報サービスを提供していた最大手企業が、リクルートだった。

ずいぶん前のコラムでも書いたように、僕が学生の頃アルバイトとして働いて いた会社である。この頃のリクルートは、それまでの就職や住宅の事業だけで はなく、NTTから仕入れた大量の回線を利用した情報通信サービスを展開し ていた。その代表的なものが、FAX一斉同報サービスの事業だったのだ。僕 とは何かと縁のある会社である。

リクルートに問い合わせをしたところ、すぐに営業マンがやってきた。名前を Oくんという。

Oくんは、聞けば入社一年目の“ぺーぺー”だという。しかし、ぺーぺーとい うのがよかった。(本来はリクルートの営業マンの仕事の範囲外である)企業 のリスト収集についても奔走し、力になってくれた。

FAX番号リストがたくさん集まることが即ち、大量のFAX配信につながり、 それがOくんの売上成績に結びつくわけだから、Oくんにとっても、やりがい のある仕事だったのであろう。

僕はOくんに助けてもらいながら、企業のリスト集めを続けていくことになる のだが、なんといってもOくんの一番の功績(?)は、僕にある人物を紹介し てくれたことだろう。

その人物とは、創業間もないある会社の社長。アルバイトは何人かいるものの、 ほとんどの仕事を自分でやっていた若者だ。この人物のことは、次回のコラム で詳しく書く予定だが、僕が独立するにおいて多大な影響を与えた人物だった。

話しはもどってOくんとのこと。

Oくんは、僕の独立に際しても、株主として応援してくれた。パフを設立して からも、企業のリスト集めなどで協力してくれた。

しかし、Oくんはその後リクルートを退職。海外の大学院に留学するためだっ た。

以来ずっと音信不通なのだが、いまでもパフの株主名簿にはOくんの名前があ る。

もんじゃ焼きが大好きだったOくん。今ごろ、どこで何をやっているのだろう。 万一このコラムを見てくれていたら、連絡してほしいなと思う。

ということで今回は、『登龍門』を通じた出会いの6人目(通算48番目の出 会い)。リクルートの元社員、Oくんでした。
<< 前のコラムへ 次のコラムへ >>
 
バックナンバー一覧へ