パフの創業の頃からの協賛企業、株式会社グレープストーン。パフとしての出
会いは、いまから9年前なのだが、僕との出会いは、さらに5年以上遡ること
になる。
今から15年ほど前。僕が31~32歳のころだった。僕は、当時勤めていた会社で、
パソコンを使った『人事情報システム』の営業を担当していたのだが、このシ
ステムの導入企業の1社が、グレープストーンだった。
システムの導入を検討していたのは、同社総務部の阿内(あうち)さん。大学
を卒業してまだ間もない、若手の女性社員だった。
僕は、阿佐ヶ谷にある同社に2度ほど売り込みで訪問していた。1度はデモン
ストレーションを行っていたのだが、担当の阿内さんの冷静沈着な表情からは、
見込みの高さ(買ってくれそうなのかどうか)が読み取れなかった。
デモから数日後。結論を迫るための電話をした。
「阿内さん、例のシステムの件ですが、ご検討いただけましたか?」
「はい。たいへん申し訳ないのですが、他社のシステムを導入する方向で考え
ています」
「えっ! それは本当ですか?」
他社のシステムを導入すると聞いて、心中穏やかではなかったが、できる限り
冷静に聞いてみた。
「どこのシステムでしょう?」
「弊社のシステムに比べて勝っている点はどういう点でしょう?」
阿内さんは、他社を選んだ理由を正直に答えてくれた。その答えを聞けば聞く
ほど、このまま引き下がるわけにはいかないと思った。いずれも、僕が提案し
ていたシステムでも実現できるものばかりだったからだ。いや、むしろ僕が提
案しているシステムのほうが、グレープストーンにマッチしているという確信
が持てた。
「わかりました。聞けば聞くほど、弊社のシステムのほうが御社には相応しい
ような気がします。もう一度だけ、説明にあがらせてもらいたいのですが、い
かがでしょう?」
「いや、でも、もう決めたことですし……」
「本当にそれでよろしいんですか!?」
僕はそれまでの冷静さを捨て、わざと語気を強めて言った。
今から思えば僕も若かった。「本当にそれでいいのか」など、かなり生意気な
発言だ。しかし、このひとことで、再訪問の許可をいただけることになった。
気迫と自信を感じてもらえたのだと思う。
数日後、阿内さんとシステム担当の女性の方に、再度熱心にシステムの説明を
した。このとき初めて、先方の心が動いたことを感じた。「ひょっとしたらい
けるかも…」。僕の営業マンとしての勘がはたらいた。
数日後、阿内さんから「クギサキさんのご提案のシステムを導入することで、
正式に決定しました」という電話をもらった。まさに逆転の勝利だった。
このしぶとい営業から5年後。僕はパフの社長として、阿内さんと再会するこ
とになる。
5年前のシステムの時とは違い、比較的すんなりとパフの協賛企業への参画を
決めていただいた。実績ゼロのパフへの参画をどうして決めてくださったのか。
グレープストーンの採用姿勢がパフの「顔の見える」のコンセプトに一致して
いることも確かにあったのだと思うが、5年前からの縁で「僕そのもの」を信
じてくださったのではないかと、なかば自惚れながら思っている。
阿内さんには、それからというもの、ずっとパフ協賛企業の「顔」として、い
ろんなところでご協力いただいている。
学生向けのイベント、企業向けのセミナー、大学向けのパネルディスカッショ
ンなどなど。
当時は、女性の人事担当者の存在が珍しかったこともあり、ことあるごとに出
演をお願いしていた。
学生向けのイベントの前日、グレープストーンの代表商品「東京ばな奈」をス
タッフ向けの差し入れとして大量に届けていただいたり、イベント後の打ち上
げで、遅い時間まで宴会に付き合っていただいたり(阿内さんのお酌で飲む酒
は格別に美味しかった…)と、温かできめ細やかな阿内さんの心遣いには、い
つも感動させられた。
こんなこともあった。3年ほど前、パフで作ったDVDに出演してもらったと
きのこと。僕はこの時、丸一日の収録で疲れきっていたのだが、そんな僕の肩
を、阿内さんは「がんばって!」とマッサージしてくれた。あのとき肩から心
にじんわりと伝わってきた「温もり」は、今でも忘れない。
二度ほどカラオケをご一緒したこともある。十八番は『芸者ワルツ』と『ハク
ション大魔王』。このギャップがまたよかった(笑)。
いつも背筋がピッと伸びていて、凛とした女性の強さと、しなやかさと、優し
さを秘めた阿内さん。協賛企業の「不良中年」たちのマドンナ的な存在だった。
いまでは仕事の現場でお会いすることはめっきり少なくなってしまったが、僕
にとっても永遠のマドンナだ。
ということで、69番目の出会い。パフ創業時からの協賛企業の1社。グレープ
ストーンの阿内さんでした。
|
|