釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第111話> 「講談社の大平さんと村上さん(その1)」   2007/02/13  
 
講談社と出会ったのは、パフを創業して丸一年が経過したころだった。当時の 講談社の採用担当者は、人材開発部長の大平洋(おおひらひろし)さんと、同 じく副部長の村上潔(むらかみきよし)さん。

いまはお二方とも、別の部署に異動となっておられるが、パフのいまを語るう えで、このお二方との出会いが持つ意味は大きかった。

今から4年ほど前、パフのメンバーメール(メルマガ)に連載していたコラム 『パフ涙の自転車操業物語』のなかでも、講談社との出会いを書いているので、 今回はその内容を転載するところから始める。

※当時のコラムではお二人の名前をイニシャルで書いていましたが、今回はご 本人から許可をいただいていますので、実名に差し替えたうえで転載します。

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1999年2月下旬。

パフ初の就職イベント“キミは就職できるか?”は、成功といっても言い過ぎ ではないくらい盛況のうちに終了した。

しかし、イベントは無事終了したとはいえ、事業計画も、そして財務内容もボ ロボロになっていたパフのこれからのことを考えると、ボクの頭が痛いことに は、なんら変わりはなかった。

 「さー。これから、どうやって事業を立て直していこう…」

これといった妙案があるわけでもなし。雑務をこなしながら、日々を漫然と過 ごしていた。

そんな折、1通のFAXがパフの事務所に届いた。

 ・・・

  Puff様   2月16日付けFAX拝見いたしました。   いつもお世話になりありがとうございます。   実は小社は昨年より2000年夏まで社屋の移転があり、そのこともあり   会社説明会ができにくい状況です…

   (中略)

  パフには注目しています。   明年からはもう少し小社ホームページにも力を入れるつもりですが、今後   ともどうぞご指導の程よろしくお願いいたします。

  (株)講談社 人材開発部 大平洋

 ・・・

「えー?なんだこれは?」「なんで講談社から、うちにFAXが来るんだ?」

当時パフは講談社とは何の取引も、個人的な面識もなかったのである。

 『2月16日付けFAX拝見いたしました』

あー、そうか、そういうことか……。

当時、「パフの就職応援ページ」では、掲載社数があまりに少なかったために 「就職四季報」などに掲載されている会社の、一覧情報+ホームページリンク の掲載を無償で行っていたのだ。 もちろん先方の了承をもらったうえでの掲載だったが、確か200社くらいの 会社を無料で掲載していた。

ボクは、それら会社に対して1ヶ月に1度くらいの頻度で、青臭いことを書き 綴ったコラムを、メールやFAXで送りつけていたのだ。

「青臭い」というのは、企業や学生が毎年繰り返している採用・就職活動のお かしな所を皮肉って、批判じみたことを書いていたからだ。

調べてみると、講談社は、その無料掲載の200社の中に入っていた。そして、 ボクの「青臭い」FAXに反応してくれたのだった。

「講談社かあ。出版の最大手だよな。就職サイトなんか使わなくても、有り余 るほどの応募者が来る超人気企業だし……。まあ、パフなんぞが営業しに行っ ても、ケンモホロロっていうところだろうなあ……」

と、思いつつも、お世辞にも達筆とは言えないが、大平さんの非常に謙虚かつ 低姿勢なFAXの文面が気になっていた。また、『パフには注目しています』 の一文がとても嬉しく心に残っていた。

「いっちょ、無駄足覚悟で、アポイント取ってみるか!」

ボクは講談社人材開発部の電話番号を調べ、大平さんにダイレクトに電話をし てみた。

「あのー、私パフの釘崎と申しますが…」

「あー、どうも大平ですが…」

「あ、お、大平さんですか!? ど・どうもハジメマシテ。先日はFAXを  頂戴しまして、ど・どうもありがとうございました!!」

「ああ、いえいえどういたしまして」

「あのぉ、一度ご挨拶かたがたお邪魔させていただきたいと思いまして、お  電話したんですが、近々伺ってもよろしいですか?」

「え!わざわざ来てくださるんですか?どうぞどうぞ、ぜひお越しください。  楽しみにお待ちしています。」


1999年3月2日。

こうしてボクは、文京区音羽にある、講談社に向かうことになったのだ。

地下鉄有楽町線の護国寺駅を降り、地下鉄の出口階段を上がりきると、目の前 に新築の講談社本社ビルがそびえ立っていた。

(いったいどんな人が出てくるのか……。つづく)
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ということで、このコラムも、来週の「その2」に続きます。
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