このコラムの執筆を始めたのは、2004年11月だった。なんとそれから2年半も
の歳月が流れてしまった。
「100の出会い」は、根拠があって「100」という数字にした訳ではなく、
ただ単に切りのいい数字だったからである。
しかも、100の出会いの順番を組み立てていた訳でもなく、行き当たりばっ
たりで書き進めてきた。
最初は幼少期の思い出を手繰り寄せながら時系列で書いていたのだが、うっか
り「あ、あの人のこと書くの忘れてた!」と思い出し、平気で時代を遡ること
もあったし、「ああ、やっぱりあの人のことを書いておけばよかったなあ…」
などと、ずいぶん後になって悔やむこともあった。
それもこれも自分の計画性のなさの為せる技なのだが、でも逆に、だからこそ
自分でも予測不能なこのコラムの行く末が楽しみでもあった。
僕は以前より『パフの創業物語』や『パフの自転車操業物語』といったコラム
で、自分と会社の歴史を物語風に書き留めてきた。今回のコラムも、先の両コ
ラムの焼き直し的なところがあるのだが、より深く広く自分の半生を(という
ほど年寄りでもないが、笑)振り返ることができた。
しかし、単に自分自身を振り返るだけのこのコラムが、読者にとっていかほど
の価値があるのかを考えると、いささか疑問に感じない訳でもない。多少は有
益を装って書いたほうがいいのかもしれないと思ったこともある。が、やっぱ
り、そんなことは出来なかった。
『…創業物語』にしても『…自転車操業物語』にしても、そしてこの『100
の出会い』にしても、自己満足と思われようと、ありのままを書き残すことに
一番の価値があると考え直した。
たいした才能のない僕のような凡人でも、たくさんの出会いを大事にすること
によって、人とは少し違う、楽ではないのだけけれど、さりとて苦しいだけで
もない、たまには喜びや幸せだって感じられる、そんな人生を送ることができ
るものなんだということを、このコラムを読んでくれる何人かの人が感じてく
れたらそれで構わないと考えることにした。
そんな思いで書いてきたこのコラムも、あと21の出会いを残すのみとなって
しまった。さて、残り21……。誰との出会いを書いていくか。
やはり、現在のパフを一緒に苦労しながら育ててくれた、わが社員のことを書
かねばならないだろう。
パフが新卒者の募集を開始したのは西暦2000年の6月からだった。会社の創業
から3年目のとき。いまからちょうど7年前のことだった。
社会人・職業人としての知識や経験がゼロの新入社員たちには、当然ではある
が、ずいぶんと苦労させられた。社員たちのほうも「会社としての実績がゼロ
のパフにはずいぶんと苦労させられた」と思っているかもしれない。
しかし、僕ひとりではパフは絶対に存続し得なかったわけだし、いま有してい
るパフの多くの財産-お客様、商品、サービス、仕組みといったもの-は、ひ
とりひとりの社員たちがゼロから築きあげてきたものだ。
ということで次週より、パフに入社してくれた新卒者のことを、原則として一
人一話のペースで書いていこうと思う。入社後(あるいは入社直前)残念なが
ら辞めていった新卒者もいるのだが、思い出の深い者については、名前をボカ
すなどしながら書いていこうと思う。
パフは今年の12月で創業10周年、満10歳を迎える。このペースでいくと、
たぶん10周年を迎えるころに「100の出会い」も完成することになるであ
ろう。まるで最初から仕組んでいたかのような展開である(笑)。
では読者の皆様。次週より最終コーナー「社員との出会いシリーズ」に突入す
るこのコラムですが、どうかもう暫くだけ、お付き合いのほど、よろしくお願
いいたします。
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