創業物語 プロフィール
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  第08話    「酒と泪と男と女とフォークソングの下宿時代」(2) 2000/09/17  
なけなしの小遣いと、大事にしていた漫画本や小説本や、(一般に高校生に とっては大事な)参考書を古本屋に売り払ったお金で買ったフォークギター。

メーカー品ではなかったのですが、大学2年生までずーっと愛用したギター でした。

血のにじむような練習で(実際、始めの頃、左手指先は血が出てた)、数ヶ 月後には、コードで弾き語りができる位に上達。

しかし!ギターが弾けるようになっても所詮素人同然の腕前。
難関の文化祭オーディションを通過するには、この程度の実力ではとても無 理な状況でありました。

時は流れ、高校2年生でクラス替えになった時のできごと。

ピアノを弾かせたら、高校一番!と言わしめていた天才(名前は菊池君)と 僕は同じクラスになりました。

そいつは、クラシックはもちろん、ジャズでも、ビートルズでも、ユーミン でも、なんでもござい! しかも成績は、学年でも常に50番以内で東大も 射程圏内にあるスゴイ奴。
劣等生かつ問題児の僕とは、接点などあろう筈もない存在でした。

なんとかお近づきになりたいなーと思っていた矢先の春のバス遠足。

新クラスの親睦を兼ねたもので、希望者はバスの中で自己紹介と唄を披露す ることになっており、僕は、今ギターを練習していることと、できればバン ドを作りたいことを喋って唄を一曲唄いました。

その遠足の帰り、菊池君から

「僕と一緒にやらない?」

と声をかけられた時には、「え!キミが僕なんかと?」と不思議に思う反面、 「文化祭オーディション突破もこれで夢じゃない!」と小躍りしたものでし た。

それから、菊池君をリーダーとしたバンドが結成され、僕はギターとボーカ ルを担当。その年(高2)の文化祭のオーディションを見事突破。

しかし!菊池君の方針で、僕は唄無しで女の子がボーカルに。(くやしい!)

が、バンド2年目、高校3年生最後の文化祭で、僕らのバンドは、チューリ ップの「青春の影」を演奏することに決定。(ボーカルは、そう僕です!)

高校1年の時に舞台裏で、「よーし、俺も!」と心に決めてから2年後、 「念ずれば通ず」とは良く言ったもので、1000人以上の観衆の前で、 唄うことが遂に実現されたのでした。

「♪ きみのこころーへつーづく、ながいー、いっぽんみーちは・・・」

このチューリップの「青春の影」は、僕の忘れられない一生の思いでの唄で あります。

音楽活動に精を出していた高校生活でしたが、一方で、僕の下宿生活にも大 きな変化が訪れていました。

高校1年の終わりの頃から、友達の家に下宿させてもらっていたのですが、 その友達とお母さんと、ちょっとしたことで不仲になてしまい、その下宿を 高校2年の3学期には出ていかなければならない羽目になっていたのです。

で、相談したのが、中学校来の親友で、ライバル校の野球部キャプテンの渡辺(第6話にちょっと登場)くん。

渡辺 : 「おー、そんなら俺んところの下宿屋は一部屋空いちょるけん、引っ越し
て来いや。下宿のオバサンには俺が口ききゃー間違いねーけん、大
丈夫!お前が来たら、おもしろくなるのー、がはは!」

すぐさま、その下宿のオバサンと交渉を開始し、即決で、翌週から引っ越すことに決定。「尾花下宿」と呼ばれているこの下宿屋が、僕が高校を卒業するまでの1年 ちょっとを過ごした場所であります。

母屋と離れを併せて9人の学生(高校生7名、大学生2名)の大所帯だったのですが、議論と酒好きな連中が集まっており、毎晩のように酒を飲み明かしていました。

特に僕の隣の部屋にいた大学生(大分芸術短期大学声楽科1年)東さん(男)とはムッチャクチャ仲良くなり、その東さんの学友たち(男も女も)と、尾花下宿生たちと、よくもまー下宿を追い出されることもなく、また学校も退学にならずに済んだと思うくらい、酒と泪と男と女(注:女はほとんどありませんが)の、青春ドラマさながらの生活を繰り広げていました。

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#話は現代に戻りますが、実は昨日チューリップの再結成コンサートを前出の
#友人、渡辺と見に行ったのです。以下は、彼と帰りに酒を飲みながら交わした
#会話です。

渡辺 : 「俺たちって、考えてみたら、ずいぶんと恵まれた環境で高校生活を
送ったよなー。」

釘崎 : 「そうやのー。あの時の時代でも、珍しかったかもしれんのー。」

渡辺 : 「勉強は全然できんかったかもしれんが、酒と友達には事欠かん
かったよなー。」

釘崎 : 「女にはよく振られたけどな…。」

渡辺 : 「きっとお前なんかが、今こうやって会社やっちょるのも、高校の下宿
生活で毎晩酒飲みながら将来について語り明かしたりしよったうちに、
独立心が養われちょったんだろーなー…。」


なるほどねー。パフ創業のルーツは、

1)文化祭で唄うぞ!と決心して2年後チューリップの唄で現実につなげた達成感と、2)毎晩、酒を飲みながら友人たちと熱い議論を繰り広げていた、「酒と泪と男と女とフォークソングの下宿時代」にも隠されていたようですね。

さぁ、次回はやっと「涙の貧乏浪人→大学生」に突入だ!

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