2000年9月14日(金)夜。
「Nさん、できれば今日中に、協賛の結論を出してもらえませんか?」
ボクと内定者フルカワは、SS社にこんな無謀なお願いをしてしまった。
SS社への訪問は、この日が初回。しかも30分の大遅刻。
…にもかかわらず、この厚かましいお願い。
大阪から「内定者研修」のために上京していたフルカワは、学校の授業の関
係で、翌日、大阪に帰らねばならなかった。
そのフルカワの内定者研修最後の日に、初受注をプレゼントしてあげたいと
思ってのSS社への無謀なお願いであったのだ。
夕方6時になった。SS社からの連絡はまだない。
「おい、フルカワ、なかなか連絡こないなぁ。電話してみろよ」
フルカワは、SS社に電話した。
「く、釘崎さん。まだ結論は出ないらしいです。
『結論が出たら、連絡するので待っててほしい』ということでした…」
「そうか…。待つしかないな」
夜8時になった。他の内定者も皆、そわそわしながら待っていた。
「おい、フルカワ。明日大阪に戻るのに、まだ何も部屋の片付けとか荷造り
とか出来てないんだろ?帰らなくて大丈夫なのか?」
「は、はい。もう少し待ってみます」
そんなやり取りをしていた矢先、不意に電話が鳴った。
「え、SS社だ!フルカワ、で・出ろ!」
「は・はい。パフでございます」。フルカワは、乾いた声で電話に出た。
「は、はい。は、はい。は、は、は、はい…」
フルカワは「はい」しか言わない。何のことだかさっぱりわからない。
しかし、最後のことばでわかった。
「え、ほ・ほ・ホントですか?ど、どうもありがとうございました!!」
SS社は、約束どおり、この日のうちに結論を出してくれた。
SS社に訪問して、まだ10時間も経っていない。まさに快挙だった。
後日、SS社のNさんに聞いた話だが、この日結論を出すために、相当な根
回しと骨折りをしたそうだ。この時Nさんは若干27歳(この時は、そんな
に若いだなんて、露とも思っていなかった)。
大手企業という環境の中で、しかも27歳という若さで、取引実績ゼロの会
社(パフ)に、即日契約の結論を出したNさん。恐るべきである。
翌日、フルカワは、大阪に帰っていった。
#フルカワは以降、パフのイベント開催の時など、1泊~2泊程度で東京に
#来るのみだった。
このSS社の受注が、パフの内定者にとっての、実質的な初受注だった。
が、それから約1ヵ月後…。2社目の感動的な受注が、またしても突然、
訪れたのだった。
2社目の受注の主役は、いまやパフの「お局」として、体格的にも精神的に
も充実・成長している(でも、当時は初々しかった)ヨシカワアユだった。
|