パフ創業一年目の初夏のことだった。顧客の開拓に行き詰っていた僕は、リク
ルートのOBで独立している人たちのところに知恵や人脈を授けてもらおうと、
一人ひとり訪ね歩いていた。
前年までリクルートグループの人事課長をつとめていたSさんもその一人だっ
た。Sさんは、それまでのキャリアを活かして、企業の(給与や人事評価制度
の構築を行なう)人事コンサルの事務所を立ち上げていた。
Sさんなら、顧客になってもらえそうな企業をいくつか紹介してもらえるので
は……という、僕の勝手な期待があった。
ところが、Sさんから出たコトバ。
「うーん、釘さんの会社は、採用のビジネスですよねー。残念ながらこの景気
でしょ。僕の顧問先は、どこも採用するどころか、むしろ余剰人員を辞めさせ
るのに苦労している現状なんですよー」
そう、このころの日本経済はバブル崩壊後、もっとも深刻な状況に陥っていた
時期だった。山一證券が倒産したのもこの時期だし、失業率もピークに達して
おり、新卒の求人倍率は1.0を割り込んでいた。
「そうかー、そうですよねー」
あまりに落胆している僕を見て可哀そうに思ったのか、Sさんは思いついたよ
うに次の言葉を発した。
「あ、そうだ。求人企業じゃないんですが、面白い人がいるんでご紹介します
よ」
「面白いひと?」
「確かリクルートには中途で入社したんですが、その後営業所長や営業部長を
経て、グループ会社の役員までいった人です。リクルートでは、ずーっと就職
情報誌の畑でしたね。今は独立して、経営コンサルの事務所を開いているらし
いんですが、何かしら釘さんのビジネスと、商売上のつながりが持てるんじゃ
ないですかね……」
「なんで面白いひとなんですか?」
「いや。まぁ、お会いになれば分かると思いますけど……。まぁ、たぶん釘さ
んなら合うんじゃないかなー」
そのコトバに隠された意味など深く考えることもなく、僕は即、「ぜひ紹介し
てください!」とSさんにお願いした。
その人の名前は「寺岡晟 (てらおかひかる)」。通称「寺さん」と呼ばれて
いた。
早速翌週、寺さんの事務所に伺うことになった。港区三田の、慶応大学に程近
いところにある閑静な事務所だった。
この出会いが、その後のパフの事業に、大きな影響を及ぼすことになろうとは、
露とも想像だにしていなかった。
(つづく)
|
|