本田さんと初めて会ったのは、1999年の春だったと記憶している。場所は
寺さん(88話~90話に登場した謎のコンサルタント)の三田にある事務所。
本田さんと本田さんの仕事仲間がふたり。合計3名が来訪した。どういう経緯
でこの3名と僕と寺さんが会ったのか。実は記憶が定かではない。本田さんの
仕事仲間のうちのひとりが元R社の人で、たまたま寺さんとも面識があったか
ら、というだけの理由だったのかもしれない。
初めて見る本田さんは、「おとなしくて繊細でマジメ」という印象だった。今
の本田さんを知る人には信じられないだろうが、僕にはそう見えた。
打ち合わせの最中も、発言するというよりも、ノートパソコンを開いて、打ち
合わせの内容を一生懸命にメモする姿のほうが、印象に残っている。
この日は、カンタンな打ち合わせのあと、この3名プラス僕と寺さんとで飲み
にいった。僕は、本田さんと向かい合わせで、学生の就業問題のことで大いに
盛り上がっていた。「すごい。熱い。真剣だ。マジだ」と、本田さんの印象が
みるみる上昇していった。
しかし、このときはまだ、本田さんの、ユニーク&お茶目&“おばちゃん”な
キャラを発見するには至らなかったのだが。
本田さんとはこの日以来、メールや飲み会や大学での講演会などの場を通じて
の交流が続いていったのだが、より深い交流が始まるようになったのは、翌年
以降、パフのイベントに『コーディネーター』として登場していただくように
なってからだ。
当時のパフのイベントは、コンサート会場のようなホールに、数百人の学生を
「観客」として招いて行なっていた。チケットを“ぴあ”を通じて発売したり
して、有料で行なっていた。
そして僕らはステージ上で、様々な趣向を凝らした出し物を行なう。歌ったり、
劇を演じたり、コントをやったり……と、まるで視聴率の低いテレビ局の公開
録画番組のようなノリだった。
このイベントのコーディネーター役として、本田さんを大抜擢(?)させてい
ただいたのだ。
ここからだ。本田さんのユニーク&お茶目キャラがいかんなく発揮されるよう
になったのは。
軽妙洒脱なトークで、観客席にいる大勢の学生たちを、一瞬のうちに惹きつけ
ていく。パフのスタンスやポリシーを、分かりやすく学生に伝えてくれる。
それだけではない。舞台裏では、慣れないパフの若手社員たちを、笑わせたり
和ませたり励ましたりして、やる気を喚起させてくれる。
僕が本田さんに期待していたのは、表舞台での『タレントPONTA』だった
のだが、実際に本田さんが果たしてくださったのは、表舞台も裏舞台も全部ひっ
くるめた全体の運営コーディネートだった。否、単にイベント当日のことだけ
ではない。パフの若い社員たちが、困ったり悩んだりしたときの『頼りになる
兄貴』として、日常的に関わりを持ってくださった。
「どないしたーん?」「そうなんやあ…」「まあ、ぼちぼちやりまひょか?」
が、口癖の本田さん。限りなく温かい。
ほんとうに良い人とめぐり会うことができた。本田さんと出会うことによって、
パフは、よりパフらしさを追い求めることができたのではないかと思う。
本田さんとの縁は、もちろん今でも続いている。ビジネスパートナーを超えた
真のパートナーとして、将来にわたっても、この関係は続いていくことだろう。
ということで、60番目の出会い。永遠のパートナー、PONTA・ポンタの、
本田勝裕さんでした。
【ご参考】ポンタのキャリアゼミ ⇒ http://www.japonta.com/
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