僕は最終選考のとき、応募者に自分史を語ってもらうことにしている。自分が
生まれてから今日までの、楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、
辛かったこと、感動したことなどなどを、小さいころから時系列に語ってもら
うのである。
吉川安由(以降、ヨシカワ)の最終選考のときの「自分史面接」を、僕はとて
もよく覚えている。
小学生のころの話、中学生のころの話、高校生のころの話。父親や母親の話…。
声を震わせながら、ひとつひとつのエピソードを、僕の目をまっすぐ見ながら
真剣に話してくれた。
あがり症で、喋りも上手くない。どちらかといえば控えめで、目立つことも好
きではない。決して営業のできそうなタイプではなかった。
しかし面接後、僕は迷わずヨシカワを採用しようと決めた。まっすぐで正直で
誠実な彼女なら、多少不器用であっても、お客様の信頼を得られると思ったの
だ。
2000年8月1日。ヨシカワの実質的なパフ入社日である。まだ大学生ではあっ
たが、この日からほぼ毎日、ヨシカワはパフで働くことになった。
予想通り、営業はダメダメだった。お客様のところで商品の説明をさせてもト
ンチンカン。ついには無言になってしまい、お客さんから逆に助け舟を出され
る始末だった。
最初の頃は、僕もよく彼女の営業について回っていたが、そのうち、修羅場を
潜れ!ということで、ひとりで訪問させるようになった。
訪問すれど訪問すれど、ことごとく撃沈である。
ある日ヨシカワが、外から帰ってきた後すぐ、涙目になって僕の席にやってき
た。
「クギサキさんは、どうしてまだ大学生の私達を、こうやってひとりで営業に
行かせてるんですか?(ウルウルウル)」
何をいまさら、という気持だったが、話を聞いてなるほどと思った。
訪問先の人事担当者から、
「大学生のうちからコキ使うなんてとんでもない会社だ。あなたの会社の社長
は何考えてるんだ?きっとずいぶん酷い人なんだろうね」
ということを言われて、ヨシカワは何も言い返すこともできず帰ってきたのだ。
さぞかし悔しかったことであろう。
僕は、涙ながらに訴えてきたヨシカワに対して、
「俺には、おまえらがまだ内定者だとか大学生だとか、そんな意識はまったく
ない。パフで働くからには皆一緒だ。それに見てみろ。他に誰がいる?おまえ
らしかパフで働く奴はいないんだ。それがうちの会社にとっては当たり前のこ
となんだよ。そんなくだらないことを言う人事担当者なんか放っとけ!!」
というような、逆切れとも思えるような説明をした。しかし心の中では「辛い
目に遭わせて申し訳ない」という気持ちでいっぱいだった。
しかしそんなヨシカワも、2ヶ月後の10月には、初受注をあげることになる。
まるっきりひとりで、最初から最後まで営業をしたド新規の会社である。
以降ヨシカワは、数々の新規取引の会社を増やしていった。毎年毎年、苦労や
失敗を重ねながらも、多くのお客様とのお付き合いを増やしている。その分ク
レームやトラブルもたくさん生み出しているが、それはそれだけたくさん仕事
をしている証拠だろう(だからといって大目にみるつもりはないが、苦笑)。
いまでもごく稀に、ヨシカワの営業に同行することがある。やっぱり昔と変わ
らず、上がり症で、ドギマギとした営業しか行えていない。他社で見かける知
的でスマートな営業とは程遠い。「なんでこれでお客さんは買ってくれるんだ
ろう…」と、僕はあいかわらず不思議に思う。
営業のことばかり書いたが、ヨシカワが新卒一期生として果たした役割はとて
も大きい。パフに何の武器も道具なかった時代に入社し、ひとつひとつのもの
を率先して創りだして来てくれた。後に続く後輩たちの面倒を、時間を惜しむ
ことなく見てくれた。
・・・・・
これからも、お菓子とラーメンの食べすぎには気をつけながら、そしてよき理
解者である旦那さんを大切にしながら、たとえ『お局さま』と揶揄されようと
も、ずーっとこの先も、パフの良きDNAを後輩に語り継いでいってほしいと
思う。
ということで、80番目の出会い。新卒一期生のヨシカワこと吉川安由との出
会いでした。
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