1998年5月。
目前に迫った“会社倒産”の危機を切り抜けるために、銀行からの融資を受けることにした。
と、あっさり書いたが、設立したばかりの会社が、そう簡単に融資を受けられるはずがない。
そこで利用したのが、東京都の“創業支援融資”という制度融資であった。
それなりの計画をもって事業を起こした会社には、東京都が保証人となり、銀行からの融資を受けやすくしてくれる制度である。
何十枚もの枚数の申請書類を書いて、銀行やら信用保障協会やらと掛け合った末、やっとこさ500万円のお金を借りることが出来た。
また、この頃には、「しゅうかん会社説明会」や、その他、ご祝儀受注した、いくつかの制作物のおかげで、少額ではあるが、毎月の売上げも上がっていた。
さらに自分自身の給料も、ご飯が食べられるだけのギリギリの金額まで切り詰めた(大卒初任給の相場よりも安い金額に減給!)。
これらの甲斐あって、少なくとも7月までの運転資金は確保されたのだった。
さて、少し金銭的な余裕が生まれたところで、ボクはサイトの手直しを行うことにした。
「顔の見える」「学生の視点に立った」就職サイトにしていかなければ!と思ったのである。
1ヶ月ほど前にM氏からもらったメール(第10話参照)がきっかけだった。
パフが、この厳しい就職情報業界で生き残っていくためには、運営者のスタンスをきちんと見せて、個人(学生)の側に軸足を置くことが最も重要なことであると考えた。
「顔が見えて、学生の視点に立てるもの……。んー、何だろう……」
その答えは、比較的すぐに閃いた。
「そうだ!Web上で、公開型・掲示板形式の就職相談室を開こう!」
学生の様々な相談に、ボク自身が回答していくことで、パフの就職や採用に対する考え方が自然に明らかにされる(つまり「顔が見える」)わけだ。
そしてもちろん掲示板での回答は「学生の視点」に立たなければ、成り立たない。
こうして出来上がったのが「パフの就職相談室」だった。
狙いはものの見事に当たり、学生の間で、この掲示板が話題となった。
一日のアクセス件数は、千件を超えることも珍しくなく、いくつかの雑誌にもとりあげられた。
毎日毎日書き込まれる、様々な学生の、様々な悩み。
これら悩みに対して、ひとつひとつアドバイスメッセージを書き込むボク。
やっとパフの進むべき方向が見えてきたような気がした。
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