1998年8月中旬。
パフ1期目の「パフの職サークル協賛企画」に参画していただける企業を開拓
するための本格営業活動が始まっていた。
Tさんと、インターンシップのOS君が中心となり、首都圏の大手企業を対象
にアポ取りの電話をし、突撃訪問を重ねていた。
しかし、この頃、ボクは営業活動に専念できない状況に置かれていた。
公募増資を行うための「投資家向け会社説明会」を開催すると同時に、ベンチ
ャ-キャピタル(ベンチャー企業に投資をしてくれる法人)回りを行っていた
のである。
本来であれば、個人投資家だけから出資を募りたかったのであるが、証券会社
に会員登録している投資家からの反応がどうもイマイチで、予定していた発行
株数全部に買い手がつくかどうか微妙な状況だったのだ。
そこで、このままではまずいと思ったディー・ブレイン証券が、いくつかのベ
ンチャーキャピタルを紹介してくれたのだった。
この増資を成功させないことには、「パフの就職応援ページ」を学生に知らせ
るための広告宣伝費が賄えないことになる。
そればかりか、会社の運転資金が底をついていたため、少人数の社員に給料さ
えも払えない事態になってしまう。
ボクは、営業活動よりも、この“資金集め活動”を最優先せざるを得ない状況
だったのだ。
世間がお盆休みに入った頃、大阪の某ベンチャーキャピタルから連絡が入った。
「出資を検討したいので直接経営者の話を聞いてみたい」ということだった。
ボクは喜び勇んで、大阪行きの始発に乗り込んで、そのベンチャーキャピタル
に訪問した。
先方は2名。いかにも海千山千といった、ちょっと危なそうな雰囲気を持った
ベンチャーキャピタリストだったが、かなり真剣にボクの事業説明に耳を傾け
てくれていた。
「出資の決定は役員会を経て1週間以内にはお返事します」ということだった。
1週間後、申し訳なさそうな電話が入った。
「お話は理解できるんですけどね…、
まだパフさんは、営業実績がないということで、それがネックとなってしま
いました。今回は出資を見合わせることになりました…」
はるばる大阪まで出かけ、多少の期待をしていただけに、ショックだった。
なにより、往復3万円の新幹線代が無駄になったのが口惜しかった。
前後して、東京のベンチャーキャピタルも何社か話を聞いてくれていた。
もっとも印象に残っているのは大手総合商社系列のベンチャーキャピタルI社だ。
先方は、いかにもサラリーマン然とした担当部長2名。
名刺交換をした時から、どうも先方にやる気を感じない。ボクは資料を広げて
説明を開始したが、10分もしないうちに2名とも、コックリコックリ……。
「こいつらー、人をバカにしやがって!」と思ったが、これも経営者を見る上
での作戦かもしれない、と我慢して、最後まで説明を続けた。
「あのー、以上ですが、何かご質問はありますか!?」
説明が終った後に少し大きめの声で睨み付けるように、この2人に呼びかけた。
寝ていたのは明白である。目が充血していた。
ボクの呼びかけに、担当者はいかにも面倒くさそうに、こう言った。
「んー、まぁ、だいたいのことはわかりました。
お話は理解できるんですけどね…、
おたくの業界は競合がたくさんいるし、今の事業計画に新規性があるとも思
えないしね、まー、少し様子を見させてもらえますか…」
さすがに頭にきた。
「おめーら、俺の話も聞かずにグーグー寝てたくせに、
何が“お話は理解…”だ!!
なーにが“事業計画に新規性がありませんね…”だ!
話を聞く気がないんなら、最初から呼びつけたりするな!
こっちは、命がけなんだ!
寝るんなら、家に帰ってカーチャンとでも寝てろ!
この窓際サラリーマン野郎が!!!」
と口に出しては、さすがに言わなかったが、ボクのその時の心の叫びである。
一方、ボクが、資金調達で悪戦苦闘しているころ、TさんとOS君も、企業向
けの協賛営業活動に苦戦していた。
Tさん : 「クギサキ社長ぉ、会って話を聞いてくれるところは結構あるんですが、
どこの会社でも二言目には、『パフさんのお話は理解できるんですけ
どね。実績のない会社に参画するのは、極めて難しいですね。』
という返事ばかりなんです」
そうか、“お話は理解できるんですけどね”か…。
でも、それって結局は、なんにも理解してもらってないのと同じなんだよね。
資金調達もダメ。営業活動もダメ。
8月の照りつける太陽とは裏腹に、我々の心の中には、すでに秋風が吹き始め
ていた。
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