自転車操業物語 プロフィール
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  第18話    「戦闘開始!」    
1998年8月。

ついに戦いが始まった。
パフが会社として生き残っていけるのか、それとも、設立1年ももたずに無残
に散ってしまうのか…。

大手競合がひしめく新卒就職情報メディア(Webサイト)ビジネスの中で生
き残っていくために、2つの戦いに挑まなければならなかった。

ひとつめは、読者である学生への告知を徹底的に行い、「パフの就職応援ペー
ジ」の名前を浸透させること。

そして、ふたつめは、「パフの就職応援ページ」に掲載してもらうクライアン
ト(広告主=採用情報掲載企業)を獲得すること。

この2つが、このビジネスの両輪であり、どちらが欠けても成り立たない。

読者が増えれば、メディアの効果が上がり、クライアントがたくさんつく。
優良クライアントが増えれば、さらに多くの読者が増える。
多くの読者が増えれば、さらに多くの優良クライアントがついてくれる。

「読者」と「クライアント」の開拓。
このビジネスの成功の秘訣を簡単に説明すると、このことに尽きるのである。


ボクは2000年4月の就職希望者に向けた「パフの就職応援ページ」の運営
開始の時期を、大手各社が運営をスタートさせる約1ヶ月前の「9月30日」
に設定した。

あと2ヶ月しかない。

Webサイトの仕様は、7月末までになんとか作り上げていた。
あとの開発は、システム担当のO君に全面的に任せた。O君は、ボクの前職で
も一緒にサイトの開発をやってくれた仲間だったので、安心して任せることが
できた。(それでも2ヶ月間での開発は相当にシンドかったと思う)

問題は「読者」と「クライアント」である。

9月30日に、より多くの学生(当時の大学3年生が中心)にサイトを見ても
らうためにはどうすればいいか…。

出した結論は、今考えれば安直であったかもしれないが、大量のDMだった。
ともかくも学生の自宅のポストに「パフ」を知らせるリーフレットを送ること
が、原始的ではあるが、即効性があり、間違いのない確実な方法だと思った。

しかし、大量のDMを打つためにはお金がかかる。
パフのこの時の資金は、銀行からの借金を含めても、すでに200万円程度し
か残っていなかった。

10万人の学生にDMを打つにしても、郵便代だけで800万円だ。
中に封入するリーフレット等の制作・印刷費用を合わせると、軽く1000万円を
超える費用がかかる。

学生の名簿取得費用や、DM発送代行費用をあわせると、2000万円近いお金が
一瞬にして飛んでしまう。

ところが、ボクはほとんど悩まずに、この出費に「GO!」の結論を出した。
200万円しかお金がないのに、2000万円の出費に対する「GO!」である。
今考えると、気が狂っているとしか言いようがない。

…実は、グリーンシート市場登録で可能となった「公募増資」による資金
調達を当てにしていたのである。

この公募増資が完了すれば、2000万円の資金が入ってくる計画だったのだ。
この2000万円を丸々、広告宣伝費に充てようとしていたのだ。
(なんと、大胆な…)

ともあれ、これで「読者」のほうは最低限なんとかなると思った。
(もちろん大学向け広報は別の方法で行っていたが)

あとは、「クライアント」の獲得である。


とある有名メーカーの人事部から転職してきてくれたTさんと、インターンシ
ップのOS君、そしてボク…。この3名が、パフの第一期営業マンである。

当時、ボクの考えた営業作戦はこうである。

「8月1日から9月上旬までに1ヶ月ちょっとの間に、“パフ協賛企業”を
 20社限定で募ろう!
 しかも、この20社はできるだけ学生に影響力のある大手有名企業で構成
 するんだ。
 そして、9月30日に照準を合わせて発送するDMには、この20社を掲
 載した小冊子を封入して、“パフはこんなスゴイ企業の皆さんが協賛して
 くれているサイトです!”と、高らかに謳っていこう!」

というものだった。

「値付けは…んー…。一切合切のサービス含めて70万円だ!」

この頃、最大手のR社サイトへの最低参画料金が(ただ載せるだけで)
約100万円。

これに対し、パフは学生に紙のDMも送るし、ネットのエントリーもできる
し、Eメールまでも自由に送れちゃう!

こりゃー、お客さんを獲得できないはずがない!

自信満々で、営業活動をスタートさせたのだった。

(オチが手に取るようにわかる話の展開だ!つづく)

 
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