自転車操業物語 プロフィール
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  第21話    「公募増資終了。が!…」    
1998年9月上旬。

三菱商事のIさんに「パフの職サークル協賛」の営業をしてから、1週間が過
ぎていた。

近日中に協賛の結論を出してもらえる、ということだったが未だに音沙汰がな
く、嫌な予感が漂い始めていた。すっかり負け癖のついていた我々の頭の中に
は「見送り」の3文字が飛びかっていた。

営業をやっていたTさんと、
「Tさーん。昨日も連絡なかったね。やっぱりダメだったのかなー」
という会話を交わした直後だった。

電話が鳴った。Tさんが電話に出た。会話が始まるやいなや、Tさんはボクに
目で合図をくれた。

(三菱商事だ!)

電話の様子でわかった。結論が出たのだ。Tさんの表情が見る見る緩んでいく。
Tさんが深々とお辞儀をして受話器を置いた。

「社長ぉーーーー。やりました!協賛していただけるそうです!!!」

三菱商事は、こうして当時、海のものとも山のものとも知れなかった実績ゼロ
の「パフ」という会社との契約を取り交わしてくれたのだ。

侍魂を持った商社マンIさん。実は、この一週間の間、パフとの契約を社内に
対して懸命に説き伏せてくださっていたのだ。

Iさんは以来、採用の担当を離れる2000年8月までの2年間、パフに様々
な力添えをくださった。パフのヨタヨタな創業時に、大きな力を与えてくださ
った方である。ボクは、この恩を一生忘れることができないだろう。

9月中旬をもって、協賛企業の募集を終了した。

結果的に、初年度パフに協賛してくださった会社は全部で10社。
(数字上は12社だったが、うち2社はトライアルということでお金をほとん
ど戴いていなかった)

三菱商事を除くほとんどの会社は、ボクと以前なんらかの取引関係があった会
社だった。
とはいえ、何の実績も、効果の保証もないパフのことを信じてくださった人事
担当者の方々には、いくら感謝しても感謝しきれない。

しかし…。

当初の計画では、この段階で20社の企業を集めるはずだった。
売上げにして1400万円を稼がなければならなかったのだが、実際に売上げ
ることのできた金額は、半分の700万円。

資金が決定的に不足していた。

あとは、並行して行っていた「公募増資」に頼るしかない。

しかし、以前にも書いたとおり、これも芳しくなかった。ベンチャーキャピタ
ルは、ほとんど「無視」の状態だった。

9月中旬。協賛企業の締め切りとほとんど同じ時期に、公募増資の締め切りも
やってきた。

結果は、2000万円の募集に対して1330万円分の申し込み。
実に670万円のショートである。

この資金だと、12月いっぱいくらいまでは生き延びることができるが、その
後はまた綱渡り。売上げが上がらない限り、まさに自転車操業状態だ。

かくなるうえは、なんとしてでも協賛企業以外の顧客新規開拓を強力に推し進
めるしかない。

ボクはさらにインターンシップ1名(大学4年生)と、ある会社から出向社員
1名を営業マンとして、招き入れていた。

実質4名の“にわか”営業チームだった。

(売れるのかい…?つづく)

 
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