自転車操業物語 プロフィール
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  第59話    「JS月島ビル」    
2000年3月。

オフィスビルの仲介業者が紹介してくれた物件の中で、いくつか
「うん、これはいいなぁ」と思えるものがあった。


実は、パフの新・事務所探しで、一点だけ実現させたいことがあった。

それは、当時小学校2年生だった「娘の小学校にできるだけ近いところを見
つける」ということだ。

娘は、小学校に入学すると同時に、ずっと鍵っ子状態に置かれていた。
カミさんにパフの仕事を手伝ってもらわざるを得なかったためだ。

誰もいない家で、毎日ひとりぼっちで留守番している我が娘のことが、
内心とても不憫で、「申し訳ないなぁ」という気持ちでいた。


そこで、事務所を移転するのであれば、せめて娘の通う小学校の側にしてあ
げたいと思ったのだ。

これは、カミさんの強い希望でもあった。


娘の通う小学校は、中央区佃。
そして、仲介業者に紹介してもらった物件のうち、なんと2つが佃の物件だった。

おのずと、この2つの物件が、最後まで有力候補として残った。

ひとつは、うなぎの寝床みたいに、ひょろ長い事務所。
狭い土地に、無理やり建てたという感じのビルだった。

もうひとつは、見た目はまだ新しいビル。広さもほどよい。
1階には美容室が入っており、目印としても分かりやすい。

しかも、小学校から至近距離に、そのビルはあった。

まさに理想的な事務所だ。

ネックは家賃だった。広さがいままでの約3倍なので、家賃もまともに払う
と3倍ほどの負担となる。

3倍の家賃というのは、さすがにこの頃のパフとしては大きすぎた。


そこで、直接このビルの大家さんに連絡を取り、会ってもらう約束を取り付
けた。会って値段交渉をさせてもらうことにしたのだ。

このビルの大家さんは、ビルを何棟か所有する、比較的大きな会社だった。
担当の方は、Sさんといって、とても温厚な方だ。


ボクはパフの台所事情などを説明して、なんとか月々の家賃を減免してほしい、
とお願いした。

何分かの交渉の後、Sさんは、とてもいい条件を提示してくれた。

なんと共益費込みで、1万円(坪当たり)で良いと言う。

これならば、貧乏なパフでもなんとか支払っていけそうだ。

ボクは、ほぼ即決で、このビルを借りたい旨を告げた。


このビルこそ、現在もまだ、我がパフが居座っている「JS月島ビル」なの
だ。

(やっと決まったパフの新・事務所!…つづく)

 
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