2000年12月8日(金)。
パフの就職応援イベント“キミは就職できるか”は開催された。
●イベントの運営責任者は、この年の内定者であるヨシカワアユ。
▼司会者は、同じく内定者のフルカワアキコ。
■音楽(ギターのBGM)担当は、やはり内定者のササキアサヒ。
◆そして演劇(役者)担当は、これまた内定者のササキタカノリ。
主要な役割は、すべてこの年の内定者が受け持っていた。
また、イベントのメインコーナーのひとつである協賛企業人事担当者のパネ
ルディスカッションのコーディネータを、辻太一朗氏にお願いした。
辻さんは、この物語の77話と78話にも登場している。
現在では、パフの社友(しかも相当な親友)とでもいうべき存在だが、
太いお付き合いが始まったのは、このイベントがきっかけだった。
第77話でも書いたが、辻さんと知り合ったのは、パフ創業の仕掛人(クギサ
キをそそのかして、会社を創らせた男)であるリクルートのMさんから、
「クギサキさぁ、辻っていう、ちょっとスケベだけど、
最高に学生思いの人物がいるんだ。今度お前に紹介するよ。
お前と辻が一緒に組めば、ぜったい面白いことやれるからさ!」
という具合に紹介してもらったのがきっかけだった。
#辻さんは、前年まで、リクルートの人事部で、採用責任者として活躍して
#いた人だ。今は、日経BP社の「面接官の本音」等の著者としても有名だが、
#この当時は、まだ独立したばかりのころ。今後の物語でも出てくることにな
#ると思うが「つきしま村塾」なども、辻さんと一緒に立ち上げた企画だ。
あと、寸劇には、プロの役者さんである、加藤創さん、加藤愛子さん、
永島克さんが友情出演してくださった。
それと、この当時は、パフの協賛企業もまだ30社程度しかなかったことも
あり、ご協力いただける人事担当者には全員ご登場いただいた。
これだけ多くの人たちを巻き込んだ一大イベント。
この運営を、まだパフに正式に入社していない、内定者の面々に任せてしま
うという大胆なことを、当時のボクは何のためらいもなくやってしまった。
パフの内定者だけではない。実は、この年の大学4年生、つまりヨシカワ達
と同学年の、他所の会社に内定をもらった学生にも大勢声をかけて(メール
で一般公募して)、ボランティアとして手伝ってもらった。
たしか、10人近くのボランティア学生がいたと記憶している。
前置きが長くなってしまった。
いよいよイベントは始まった。
イベント全体の運営担当者であるヨシカワは、受付業務なども同時にこなし
ながら、イッパイイッパイになりつつ、会場のあちらこちらを飛び回ってい
た。
ステージ上では、大阪出身のフルカワアキコが、台本にないアドリブだらけ
の関西ギャグを飛ばしながら司会を行っている。
ステージ袖では、プログラムの進行にあわせながら「ジャガジャガジャガ」
とギターを黙々と弾いているアサヒがいる。
寸劇の場面では、プロの役者陣に混ざって、ぎこちない演技を繰り広げてい
るタカノリがいる。
受付、会場整理、道具の出し入れ、照明、音響、タイムキーパーなど、目立
たないが、イベント運営にとって欠かせないなポジションを、ボランティア
学生たちが懸命にこなしている。
パネルディスカッションでは、辻さんと協賛企業の人事担当者のみなさんとで
率直かつ温かいメッセージを学生に投げかけている。
そして、延々約4時間ほどのイベントは、大きなトラブルもなく幕を閉じた。
観客である来場学生は、皆、満足した面持ちで、帰ってくれたようだった。
このイベントは、もちろん就職活動を行っている学生のために開催したもの
であるにはちがいなかった。
しかし、今振り返ると、パフがパフたる所以を、皆で必死に模索していた
イベントだったようにも思う。
イベント終了後の、スタッフと人事担当者を交えた懇親会(打ち上げ)。
まずは、全体の運営を仕切ってくれたヨシカワに挨拶をさせた。
彼女は、感極まって泣き出してしまい、ほとんど言葉になっていなかった。
もちろん、言葉以上のものが、皆には伝わった。
この頃からだった。辻さんに「ホンマにパフは、日本一、内定者をこき使う
会社やなぁ(笑)」と言われるようになったのは。
当時のボクは、この辻さんの言葉を、最大級の賛辞として受け止めていた。
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