釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第12話> 「高校時代の下宿生活   2005/02/07  
 
1975年。湯布院中学校を卒業した僕が入学した高校は、大分県立大分舞鶴高校
というところだった。

僕が住んでいた湯布院から通うにはかなりの距離があったため、僕は下宿をす
ることになる。15歳にして、親元から離れることになったわけだ。

この親元を離れた下宿生活が、僕のその後の人生に与えた影響は多大である。

多感な15歳から17歳にかけての一人暮らしによって、僕は様々な出会いや刺激
を得るようになる。

まずは「フォークギター」。

下宿の隣の部屋の大学生(大分大学工学部の1年生。名前は前川さんといっ
た)が、ギター小僧だったこともあり、僕はその前川さんの部屋に入り浸り、
ギターを聞かせてもらっていた。

もともとフォークソングが大好きだった僕は、自分でもギターが欲しくなり、
なけなしのお金をはたいて、質屋で中古のギターを手に入れた。それからとい
うもの、毎晩四畳半の下宿の部屋でギターの練習に取り組むことになった。

それから「たばこ」。

時効だと思うので書くが、やはりこの大学生の影響で高校1年生から吸い始め
た。が、どうも体質に合わずに、本格的に吸うようになったのは、高校3年生
からである(やっぱダメじゃん)。おかげで下宿の部屋の壁はマッ黄色になっ
ていた。

そして「酒」。

これにはハマった。酒にハマったというよりも、酒を酌み交わしながら仲間た
ちと議論することにハマったのだ。土曜や日曜はもちろん。平日であっても、
僕の部屋では毎晩遅くまで、酒盛りが繰り広げられていた。

・・・・・

仲間たちと「酒」を酌み交わしながら今や将来について議論する。
片手には、「たばこ」(当時はセブンスターかハイライトだった)。
そして、興がのってくると、おもむろに「フォークギター」を取り出して皆で
唄を歌う……。

こんな体験は、一人暮らしの下宿生活という場がなかったら、たぶん実現でき
なかっただろう。

僕はこの下宿生活の中で、様々な人と出会い、交流し、「自分」というものを
深く考え、「人生」というものを真剣に考えるようになったのだ。

・・・ということで、11番目の素晴らしき出会い。「高校時代の下宿生活」
を取り上げてみました。
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