釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第11話> 「湯布院中学3年1組   2005/01/31  
 
大分県大分郡湯布院町立湯布院中学校。僕が13歳から15歳までを過ごした
中学校だ。

今回の出会いは、この湯布院中学最終学年。全部で5クラスある中で、僕のク
ラスは3年1組。36名のクラスだった。

3年1組の担任は中島先生。当時40代半ば。いまの僕と同じくらいの年齢だ。

中島先生は、むちゃくちゃ恐い先生で、道に外れたことは絶対に許さない人だ
った。僕も、平手で思いっきり頬を殴られたこともある。しかし、誰よりも生
徒のことを真剣に考えてくれていた先生で、クラス全員から愛されていた。

この中島先生に率いられた3年1組の仲間たち。30年経った今でも、このク
ラスの連中のことはよく思い出す。愛すべき仲間たちだった。

その中でも何人か印象深い友達の名前を挙げると……。

まずは「カンテン」。僕と同じ柔道部員で主将を務めていた。しかも、県大会
では3位の成績をとったこともある凄腕。・・・こう書くとずいぶんと厳つい
奴のように見えるが、とても優しくヒョウキンな男だった。僕がずっと辛い柔
道の練習を続けこられたのは、カンテンのおかげでもあった。

「エリ」。半年以上、僕とはずっと一緒の班だった。僕が班長で彼女が副班長。
エリは客観的に見て、全校でイチバンの美人だったと思う。ずっと一緒の班だ
ったというのは、実は偶然ではなく、彼女の希望からだった。

僕らのクラスでは、班の編成時にまずは班長をクラスで6名選出していた。
そして班長以外の生徒たちは、どの班長と一緒になりたいか、希望を出すこと
ができた。

エリはいつも僕のことを選んでくれていた。そして僕はいつも彼女を副班長に
任命していた。とても気の合う班長と副班長で、まさに女房役という感じの女
の子だった。あとで考えたらお互い惹かれあっていたのかもしれない。

「きよさん」。僕にとっては女神様のような女性だった。僕はクラスメイトの
名前を呼ぶときは、全員呼び捨てだった。しかし、きよさんだけは最後まで呼
び捨てにできず、「きよさん」のままだった。神聖にして冒すべからず。神々
しさを感じていたのだ。団塊の世代の親父たちにとっての吉永小百合みたいな
存在だ。「きよ」と呼び捨てしていた男に「こら!なにお前、呼び捨てしちょ
るんじゃ!」と文句を言っていたくらいだ。

きよさんは、間違いなく僕の「思い出の人ベスト5」に入る女性なのだが、
ちょっとほろ苦い思い出もある。ひょっとしたら、このコラムのもう少し回が
進んだところで再登場するかもしれない……。

そして最後は「ワタナベ」。全国大会で準決勝まで進んだことのある野球部の
主将だった。僕とワタナベとは何かと意見が衝突することが多く、いつも言い
合いをしていた。とはいえ、お互い実は密かに認め合っており、僕は彼のこと
を尊敬していた。奴もそうだと思う。でもお互い、絶対そんなことは口に出し
ては言わない。

ワタナベとは腐れ縁もいいところで、中学校を卒業して高校生になっても、高
校を卒業して大学生になっても、大学を卒業して社会人になっても、そしてな
んと40歳を過ぎた今でも……。ずーっと付き合いが続いている。

中島先生、カンテン、エリ、きよさん、ワタナベ。他にもこのクラスの全員が、
僕にとってはかけがえのない仲間だった。

いまの僕があるのは、このクラスのおかげであるといっても過言ではない。

ということで僕の10個めの素晴らしき出会い。湯布院中学校を1975年に
卒業した3年1組の素晴らしき36名の仲間たちと、このクラスを率いてくれ
た恩師、中島先生の話でした。
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