僕が小学校5年生のころだったと思う。「柔道一直線」というテレビドラマが
人気を集めていた。桜木健一主演。近藤正臣がライバル役で、ピアノの鍵盤に
ひょいと乗っかって足で軽やかに弾く名場面が有名なスポーツ根性ドラマだ。
僕はこのドラマがとても好きで、自分もいつかは黒帯を締めて、悪い奴らを投
げ飛ばしてやりたいと思っていた。
そして2年後の1973年(昭和48年)。僕は大分県の湯布院中学校に入学。
入学式の翌日には柔道部の門を叩いたのだった。
よくある話だが、入部するときの先輩たちは皆とても親切にしてくれた。
「なんにも怖いことはないんだよ~(ナデナデ)」みたいな感じだった。
しかし!入部手続きを済ませ本格的な練習が始まるようになると、僕ら1年生
は先輩たちの格好の標的。畳の上に投げつけられる毎日が続いたのだった。
結局、入部当時は30名近くいた1年生が半年後には7名に激減。僕はやめる勇
気がなかったせいもあり、結局ずっと残っていた。
僕はこの同学年の7名の中で実はいちばん弱かった。なので練習の時は、先輩
に投げられ、同級生にも投げられ、いつでも投げられっぱなしの辛い柔道生活
だった。しかも、僕の中学は県大会で優勝が狙えるくらいのレベルだったこと
もあり、夜遅くまでのハードな練習が続く毎日だった。
そんな辛い毎日の練習。なんとか頑張ってやり続けることができたのは、ひと
つの目標があったからだ。
その目標とは「黒帯」を締めること。
柔道をやったことのある人ならわかるだろうが、真っ白な柔道着の上にキュッ
と締める黒帯には、もうなんともいえぬ輝きがあるのだ。柔道をやりはじめた
からには、いつかは黒帯を締めたい。そう思って、いろんな辛さを我慢してい
た。
中学2年生の冬。初めて昇段試験を受けた。実技試験では5人一組のグループ
で総当たり戦を行う。この総当たり戦で、最低でも勝ち越さなければ段位は取
れない。勝ち越したとしても試合内容がよくなければ落ちてしまう。かなり厳
しいものだった。
僕のグループの5人は、高校生と警察学校に通っている大人たちばかりで、中
学生は僕一人。結局、無残な4連敗。しかも、警察学校の人から思いっきり畳
に叩きつけられ、さらには寝技で引きずり回されて、右腕に派手な怪我まです
る始末。この時ばかりは、もうよっぽど柔道をやめようかと思った。
しかし、「このまんま辛い思い出だけで終わったんじゃ悔いが残るだろ?卒業
まであと1年あるんだから、来年もう一回チャレンジしてみろよ!」という仲
間の助言で、なんとかやめるのを思いとどまった。
半年後。必死の練習を繰り返し、捲土重来を期して受けた試験。相手をキレイ
に投げ飛ばした勝ちはひとつもなかったのだが、それでもなんとか合格するこ
とができた。そして念願の黒帯を授かることができたのだった。
黒帯を手にしたときは、もう嬉しくて嬉しくてたまらなかった。以来毎晩、こ
の黒帯を枕元に置いて寝ていたくらいだ。
辛いことのほうが圧倒的に多かった柔道なのだが、やめずに続けてきてホント
に良かったと思う。
9つめの素晴らしき出会い。ダメでも辛くても、あきらめずに継続すること
の大切さを教えてくれた「柔道」のお話でした。
そういえば僕の洋服ダンスには、30年経った今でも、この黒帯が大事にし
まってあるんですよね。
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