僕が入部した「人形劇団ZOO」の構成メンバーは、1年生が僕を入れて3名。
先輩は、2年生が6名。3年生が2名。4年生が2名。全員合わせても13名
しかいない、とても小さな劇団だった。
しかし実はもうひとり、たいへんな人物がこの人形劇団には生息(?)してい
た……。大学6年生のユイさん(男)という人だ。
僕がキャンパスのベンチで、先輩たちから履修登録の指導を受けていた時だった。
「おい。おまえ、新入部員だって?本当に人形劇に興味あるのか?」
「は、はぁ。た、多少は……」
「多少??なんだよ、ハッキリしねぇ奴だなぁ」
こうやって僕に話しかけてきた人がユイさんだった。
髪はボサボサ、髭はボウボウ。口にはタバコをくわえている。足元を見ると、
なんと下駄履きだ。ジャケットは軍服みたいな色の、ボロボロのものを羽織っ
ている。
うわ、恐いっ!こんな人が人形劇のサークルにいたのか?まさに四畳半フォー
クソングの世界だ……と思ったものだ。
聞くところによると、ユイさんは大学6年生。年齢は、僕より5歳も年上。そ
りゃ恐いわけだ。
でも、なぜかユイさんとはその後、妙にウマが合い、都営浅草線の戸越にある
ユイさんの四畳半の下宿に入り浸ることになる。
ユイさんは吉田拓郎の大ファンだった。大ファンというより、「気狂い」とい
ったほうが近いのかもしれない。
下宿の壁には、吉田拓郎のポスターがぎっしりと貼ってあった。カセットテー
プも吉田拓郎だらけ(たまに森田童子が紛れている程度)。
四畳半で酒を一緒に呑むと「おい釘崎、歌うぞ!」と言って、アカペラでガナ
リ始める。♪浴衣のキミーは…とか、♪搾ったばかりの、夕陽の赤が…とか。
本は、宮沢賢治と太宰治のものが多かった。裸電球の下で、酒を飲みながら、
「斜陽」や「人間失格」を読んでは、暗く落ち込んでいるのだという。
またユイさんは、パチンコとマージャンの腕前もプロ並だった。僕も各種教え
てもらった。特にパチンコは、「楽しむためのギャンブル」ではなく、生活費
を稼いだり生活必需品を調達する「アルバイトのひとつ」なのだということを
教えてもらった。
おかげで僕の大学4年間の、石鹸、洗剤、タバコ、シャツ、パンツ、歯磨き粉、
レコードの殆どは、パチンコで賄うことができていた。
他にもユイさんには、「大学生としてのさまざまな基本」を叩き込んでもらっ
た。すでにミーハー化していた当時の学生の中にあって、ある意味、理想の大
学生らしさを、いつまでも残そうとしていた人だったように思う。
そのユイさん。今は、故郷の会津若松で、小中学生を対象とした塾を経営して
いるらしい。いまでも吉田拓郎を、ガナルように唄っているのだろうか……。
17番目の素晴らしき出会い。大学生の基本を教えてくれたユイさんでした。
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