1981年2月。大学1年生の後期試験も終わり、春休みに突入していた。
僕はこのころ、いままでやっていた居酒屋のバイトを卒業させてもらっていた。
人形劇団の活動が忙しく、バイト先を休まざるをえない状況が続き、結果的に
迷惑をかけることが多くなってしまったためだ。
とはいえ、貧乏学生。なんらかのバイトをしなければ食べていけない。新聞の
求人欄を隅から隅までチェックしていた。
とても小さなスペースだった。
「車掌(男子)求ム。委細面談。株式会社はとバス」
昔は「男女雇用機会均等法」という法律はなかったので、「男子」という表現
が許されていたのだろう。
はとバスのことは、田舎者の僕でも多少は知っていた。黄色い車体のバスが都
心の道を走っているのをよく見かけていたからだ。
それにしても車掌で男性の募集とは珍しい……と思った。当時の僕の常識では、
車掌というのは、黒い鞄を肩から提げて、マイクを片手に「発車オーライ♪」
と明るく微笑んでいる、「キレイなお姉さん」だったからだ。
不思議に思いつつも、車掌のバイトとは面白いと思った僕は、すぐに新聞に掲
載されていた電話番号(はとバスの本社)に電話した。
すると、すぐに面接をするので来て欲しいとの返事。はとバスの場所は、平和
島という大田区のはずれ(羽田空港に程近い埋立地)にある。
僕の下宿は大田区の馬込ということころ。そこから大森まで歩いていく。徒歩
30分ほどだ。そして大森からは無料送迎バスが出ているのでそれを利用。つ
まり交通費ゼロ円で通勤できたのだ(もちろん会社には電車を普通に使ったこ
とにして交通費を請求していた。悪い奴だ、苦笑)。
面接の相手は「運行管理部」というところ。つまり、バスの配車管理や、運行
スケジュール管理や、乗務員(運転手や車掌)の勤務管理をしている部門だ。
40歳前後くらいの人が面接官だった。15分ほどの短い面接を受けた。面接
というよりも、待遇の説明を簡単にしていたくらいだったと思う。いや、そん
な説明も、ほとんどなかったかもしれない。つまり仕事のイメージなんてまっ
たく湧くことのない面接だったのだ。
「じゃ、クギサキくん、いつから来られる?このスケジュール表に、自分の
名前を書いて、自分が出勤可能な日の時間帯にだけ印を付けてよ」と言われた。
見ると、20人くらいの「男だけ」の名前がずらっとそのスケジュール表には
並んでいた。
はとバスって女性の車掌さんはいないんだろうか…。不安がよぎった瞬間だっ
た。
(次回につづく)
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