「クギサキ君、宝塚の仕事があるんだけど、やってくれない?」
はとバスの運行管理をやっているおっちゃんは、いきなりこう切り出してきた。
僕が大学2年生だった1981年の秋の話だ。
宝塚は、新宿コマ劇場で2週間連続の公演をやることになっていた。毎日の公
演がはねた後、新宿から宿泊先の恵比寿(宝塚の寮)まで送っていく仕事を、
はとバスが請け負っていた。この新宿から恵比寿までのバスの車掌業務を、僕
にやって欲しいということだったのだ。
僕は、2週間安定した仕事があるのはありがたかったので、二つ返事で引き受
けた。
夜の10時ころ。コマ劇場の通用門まで迎えに行く。女優さんたちがぞろぞろ
と出てくる。「お疲れ様でした~。バスはこっちです~」と僕はバスまで誘導
する。さすがにキレイな人たちばかりだ。背も大きい。
「発車オーライ」とバスを出発させて恵比寿まで30分。「おやすみなさい」
と挨拶をして見送る。挨拶以外には、なにも会話はなかったが、華やかな女優
さんたちに囲まれた、ラクで楽しい仕事だった。
数日後、いつものようにバスを出発させた直後のことだった。
リーダー格の女優さんが後ろのほうから、「ちょっとお兄ちゃん、マイクとっ
てよ」と僕に声をかけてきた。僕は、「は、はい、ただいま」と言って、その
女優さんにマイクを手渡そうとする。すると女優さんは「ちゃうちゃう!マイ
クは、お兄ちゃんが持つんや」と言う。
「今からな、ウチらがお兄ちゃんに、いろいろインタビューするから、それに
お兄ちゃんが答えるんや。えぇな?」
女優さんたちは、次から次へと弱冠20歳だった僕に質問を浴びせかけてきた。
ちょっと恥ずかしい質問もあった。歌を唄わされたりもした。僕は当時、人形
劇で主題歌の作詞作曲を担当していたので、ちょうど作ったばかりの「ブレー
メンの音楽隊」の主題歌を唄ってみせた。車内は、「ヤンヤヤンヤ」の大喝采。
とても楽しく盛り上がった。
翌日から、帰りのバスの中は、女優さんたちととても打解けた毎日が続いた。
新宿~恵比寿の30分がとても楽しく充実した時間だった。
公演最終日。「きょうでおしまいかぁ。寂しいなぁ」と思って、最後の「発車
オーライ」をした直後だった。
「お兄ちゃん。今日までの2週間、わがままな私たちと付き合ってくれてあり
がとう!」と、なんと花束を僕に手渡してくれたのだ。花束の他にも、靴下の
詰め合わせと、女優さんたちが皆で書いてくれた寄せ書き。そして最後は皆さ
んの大拍手。
鳥肌が立つくらい感動した。寄せ書きには、「立派なはとバスの運転手さんに
なってください」と、ちょっと勘違いしたコメントもあったりしたが、なんに
しても嬉しかった。
仕事を通して人から感謝される……。そのとてつもない喜びの大きさを実感し
た出来事だった。
・・・
ということで今回の出会いは、前編、中編、後編と、とても長くなってしまい
ましたが、人から感謝される喜び教えてくれた「はとバス」と「宝塚のオネェ
ちゃんたち」。僕の22番目と23番目の、素晴らしき出会いなのであります
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