1982年12月。大学3年生の冬。人形劇の冬季公演が終わったばかりの頃。
団長の座を後輩に譲り渡す時期でもあり、これからの大学最終学年を、どう過
ごすか思案していた時だった。
ちょうどその矢先、5歳年上の兄貴から、電話がかかってきた。
「おまえ、うちの会社でアルバイトをやってみんか?」
兄貴が勤めていた会社は、「日本リクルートセンター」という名前の会社。
僕の当時の印象では、調査会社みたいな捉え方をしていた。
「いくらもらえるんだ?」
「うーん。残業とかあるだろうから、そうすると1日1万円くらいにはなるか
もしれんな」
1万円という金額に、僕は舞い上がってしまった。当時僕がやっていた、はと
バスの車掌のバイトは時給が500円程度。ということは、1日20時間以上
働かないと日給1万円には到達しない。
当時の大学卒の初任給は13万円ほどだったが、これと比べても日給1万円と
いうのはかなりの破格だった。
僕はふたつ返事で「やる!」と答えた。
そして数日後。
「神田営業所がお前の面倒をみてくれることになったから、いちど挨拶に行っ
てきてくれ」
という兄貴からの電話。
僕は早速、神田の駅から5分ほど歩いたところの古ぼけたビルに入居していた
「日本リクルートセンター神田営業所」に訪問した。
「やぁ、キミが釘の弟さんか。よろしく、所長のWです」
とても愛想のいい所長Wさんが出てきた。ここで僕はWさんから仕事の説明を
受けた。…はずなのだが、実は覚えていない。きっと営業の話だったと思うの
だが、僕にとっては日給1万円ということ以外は、別にどうでも良いことだっ
たのだ。
この「日本リクルートセンター神田営業所」との出会いが、僕の社会人人生を
大きく決定付けることになるのだが、そんなこと、この日には考えてもみなか
った。
仕事の説明を終えたWさんが「適性検査やりたいんだけど、あと2時間くらい
大丈夫?」と聞いてくる。
そんな話を聞いていなかった僕は、「検査」と聞いて少しビビってしまったの
だった。
(つづく)
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