僕が受けた適性検査とは、あとで聞いて分かったのだが、「SPI」という
シロモノ。この会社(日本リクルートセンター)の「テスト課」というところが
作っているオリジナル商品だった。
算数のテストと国語のテストと性格や行動を問うテストから構成されている。
問題はそれほど難しくないのだがボリュームがかなりある。終わったときには、
もうアタマがクラクラになってしまった。
「いくらお兄さんの紹介だっていっても、このテストが基準に達してなかった
ら採用はできないんだよねぇ」
所長のWさんはニコニコしながら言う。
「うひゃー、こりゃダメだ…」。僕はなかば諦めていた。
ところが数日後、このWさんから電話がかかってきた。
「あ、クギサキくん? ところでいつから出社できるの?」
どうにかこうにかテストに合格していたのだった。やれやれである。
年が明けて1983年1月。大学3年の後期試験を終えた直後から、僕は日本
リクルートセンター神田営業所の一員として勤務を始めた。
僕の仕事は、大学生向け就職情報誌の広告営業マン。企業の経営者や人事部を
訪問し、採用のための広告を取ってくるのだ。
企業の採用の仕組みや、募集広告の仕組みをぜんぜん理解していなかった僕は、
「大学生のアルバイトにやらせるくらいの仕事なんだから、カンタンな仕事な
んだろう」と、タカをくくっていた。
営業所のメンバーは、所長のWさん、入社3年目の営業リーダーAさん、入社
1年目の新人営業Nさん、庶務のお姉さん、制作課長のOさん。この4人が社
員だった。そしてこの他に、制作の契約社員が3名。それから僕と同様、営業
を行う学生アルバイトが3名いた。
僕は約1年間、大学にも通わずに、就職活動もせずに、ここでのアルバイトに
熱中することになる。
ここでの数々の経験や、出会った人々によって、僕のその後の人生が大きく決
定付けられたわけなのだが、そんなこと、この時にはまったく予想できるはず
もなく……。
何はともあれ、日本リクルートセンター神田営業所。僕の人生において、最大
級の出会いを創出した舞台であった。
ちなみに、日本リクルートセンターというのは、後の「株式会社リクルート」
のことである。当時、リクルートは急成長の真っ只中。イケイケドンドンの状
態にあった会社である。
次回からしばらくは、このリクルートでの仕事を通じての出会いが続くことに
なる。今から23年も前の出会いだが、すべてが今の僕を支える出会いだ。自
分でも楽しみながら書いていくことにしよう。
あ、そうそう。このリクルートとの出会いそのものは、「30番目の出会い」
ということにしておこう。
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