トイレから出てきたばかりのこの男性に、
「あのー、リクルートのクギサキといいますが、O社長に1時の約束で伺った
んですが……」
「え?あ、そういえばそうだったね。じゃ、こっちにいらっしゃい」
そう言われて部屋の奥のほうに通された。奥のほうといっても、5歩も歩けば、
もうそこは奥の壁際だ。
「Oです」とその男性は名刺を差し出してきた。なんと、このトイレから出て
きた男性が、S社の社長だったのだ。
僕はO社長の机の前にあるパイプ椅子に腰掛けた。そして分厚いリクルートブ
ックを取り出し、この本に広告を載せて新卒採用をやりませんか?と、いきな
り切り出した。
「いままで新卒採用なんてやったことないんだけど、ホントに採れるの?」
僕は躊躇せず「採れます!」と言い切った。そしてこの本に載せて採用を成功
させた会社の事例を、これでもかっ!というくらい、たくさん見せつけた。
「よし、わかった。やってみよう」
「え?」
あまりに、あっさりとした結論に、嬉しいというよりびっくりした。と同時に、
ちょっと後ろめたくなった。
というのも、僕が見せた採用成功事例は、僕が掲載を勧めている本だけで採用
している会社ではなく、他にもいろんなメディアとの組み合わせで、それこそ
ウン百万ものお金を注ぎ込んで、採用を成功させた会社ばかりだったのだ。
僕が勧めた本だけで採用を成功させるなんて、ハナッから無理だと判っていた。
そうはいっても、やっぱり目の前の受注は欲しい。O社長がせっかくその気に
なっているところに、あえてマイナスの話を今する必要はない。また後から追
加の営業をやって「採用を万全にするために他にもいろいろとやりましょう」
という提案をしていけばいいや……。なんていう姑息なことを考えてしまった。
そしてその場で、注文書に判子をもらって、無事即決受注。
その後は、いろいろと砕けた雑談をすることになった。雑談の最中、何人かの
社員が外から帰ってきた。
「ういーっす」「お疲れーっす」と低いドスの効いた声で入室してくる。なん
だかヤクザ事務所に出入りしているような社員ばかりで、およそコンピュータ
という世界とは無縁の人たちのように思えた。
この会社、ホントに新卒採用なんかやって大丈夫なんだろうか…。いや、それ
より前に、騙すような感じで受注しちゃって良かったんだろうか……。
「新規即決受注」というのは、本当は嬉しくて舞い上がるくらいの出来事なの
だが、ボクはとても複雑な心境だった。
帰り際、O社長が奥から「おぅ、クギちゃん!任せたからな、ヨロシク!!」
と声をかけてくれたことが、また大きなプレッシャーとなってしまったのだっ
た。
(その3へつづく)
|
|