小さな会社S社で、ソフトウェア開発の仕事に携わり始めて5年の月日が経と
うとしていた。
それは、昭和天皇が崩御し、新元号『平成』がスタートしたばかりの1989年の
春のことだった。
僕は“人材狩り”(カッコよく言えば“スカウト?”)の標的となり、それま
でお世話になったS社を離れ、大手コンピュータメーカーであるF社の系列デ
ィーラーに営業マンとして転職した。
エンジニアという仕事が嫌いだったわけではない。我ながら優秀な(というよ
り、気の利いた)エンジニアだと思っていた。この道でも、なんとか食べては
行けるだろうと思っていた。
しかし、もともとエンジニアを志向していたわけではなかったし、義理人情の
世界に身を任せて入社した会社でもあった。
自分なりには、エンジニアの仕事の凄さや、大変さや、面白さを分かったつも
りでいたし、義理人情の世界に対しても、十分報いたつもりでいた。
だから、比較的すっきりとした気持で、転職を決意することができた(でも、
それまで苦楽を共にしてきた仲間達と分かれるのが辛くて、勤務最終日には泣
いてしまったが)。
・・・・・
転職初日。僕が勤務を開始した場所は、F社のディーラーではなくて、F社の
本社そのものだった。
とても珍しいケースなのだが、ディーラーの経営陣とF社の営業幹部との話し
合いの結果、F社が発足させたとあるプロジェクトに、僕は転職早々組み込ま
れることになったのだ。
そのF社のプロジェクトは、部長を含めて総勢10名程度。当時F社が取り組
み始めた初の「米国製OEMコンピュータ」を拡販するためのプロジェクトだ
った。ディーラーから参加したのは僕だけで、残りのメンバーは全員F社の正
社員。プロジェクトが置かれていたのは、東京駅のまん前にあるドでかい高層
ビル。
超狭いビルにあった、それまでのS社とのあまりの環境の違いに、最初のうち
は目まいがしたくらいだ。
だが、職場に慣れて仕事を進めるうちに、目まいなんかできる暇もなく、こり
ゃ凄いところに来てしまった!という後悔やら、驚きやら、面白さやら、恐怖
やら、興奮やら、いろんな感情に襲われる毎日が続いていった。
転職して1ヶ月ほど経ったある日。僕は部長から、1週間後に開催される営業
会議でプレゼンテーションをするように命じられた。その営業会議は、全国の
F社の支店から部課長クラスが100名ほど集まってくる大規模なものだった。
命令されたときは、そんなに大したことだとは思わずに平然と引き受けたのだ
が、席に戻った後、他のメンバー達に「釘やん(と当時呼ばれていた)、ホン
トに大丈夫なんか?」と口々に言われ、「え?」と大変な役目を引き受けてし
まったことに気がついた。
100名を前にしたプレゼンなんてやったこともない。おまけに昔はパワーポ
イントなんていう気の利いたプレゼンツールもない。できるのは、ワープロで
印刷したものをフィルムにコピーして、OHP(オーバヘッドプロジェクタ)
を通して写しだすことくらいだ。
僕が途方に暮れている間に、会議は2日後まで迫っていた。
(途方に暮れながら「その2」へとつづく)
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