1995年の初夏。僕が在籍していたH社では新しいビジネスを始めることになった。
それまでH社は、適性検査や人事情報システムの提供を通して、企業の人事部との取引を行っていたのだが、何か新しいビジネスはできないものかと日々模索していた。
そして辿り着いたビジネスが、「インターネットを利用した求人メディアの運営事業」だった。
当時はインターネットといっても、理解できる人はほとんどいなかった。ボク自身、インターネットに関する知識はほとんどなかった。
今でこそ「就職サイト」とか「求人サイト」という言い方をすれば、簡単に理解してもらえるが、当時はイメージしてもらうのが大変だった。
そんななかボクがこのビジネスの立ち上げ責任者として任命され、以来、極めて忙しい日々を過ごすことになる。
仕様の設計、システムの開発、営業ツールの作成、求職者向け告知活動、企業向け販促活動、受注体制の確立、運営業務フローの設計などなど。やらなければならない仕事が山ほどあった。
「手探り」とはまさにこのことで、右も左も分からぬまま、この新規ビジネスの立ち上げを進めていった。
まずは、この求人サイトの名前を決めなければならない。いろんな人がいろんなネーミングのアイディアを寄せてくれたが、どれもイマイチ。ピンと来るものがなかった。
ある日、昼食から戻ってきた社員(人事部長だったと思う)が、
「クギサキ君さ、例のインターネットの求人情報の名前なんだけど、『登龍門』ってどうかなぁ? いまね、オモテを歩いてたら、『飛龍門』っていう中華料理屋を見かけて、それで思いついたんだけど…」
と話し掛けてきた。
「『登龍門』かぁ。うん、なかなかいいですね。就職は、若い人たちが社会に飛び出すためのスタートラインですからね。この名前で行きましょう!」
こんな感じで、サイトの名前は、昼休み中、あっという間に決定した。
ボクは以降、この『登龍門』の責任者を務めたことで、様々な新しい出会いを得ることになる。
当時34歳。ボクの社会人人生にとっての、大きなターニングポイントを迎えようとしていた。
次回以降のコラムでは、この『登龍門』をきっかけとして出会った、様々な人やモノやコトを紹介していきたいと思う。
まずは、この『登龍門』そのものを、今回の出会い(通算44番目の出会い)とします。
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