以前にも書いたが、僕がいたH社の中心事業は、人材の適性や能力の診断サービスを提供することだった。いわゆる「人材アセスメント」と呼ばれる事業だ。
H社では、適性や能力を診断するためのオリジナルの適性検査を開発していたのだが、その監修を務めてくださっていたのが、本日登場のK先生だ。
K先生は、大正生まれ。北海道出身で、北海道大学で臨床心理学や行動科学を学んだ。
K先生の学生時代は、不幸な戦争の時代でもあった。K先生は大学在学時、学徒出陣で出兵。終戦後はしばらく捕虜としてシベリアに抑留された。この間、何度も生死の境を彷徨ったという。そして多くの友人達をこの戦争で失ったという。
昭和22年。K先生は、運良くシベリア抑留から解かれ帰国することができたが、志半ばで死んでいった仲間達の分まで含めて、自分が力強く生きていかなければならないと意を新たにし、勉学に励んだという。
そして先生が30年以上に渡って取り組んできたのが、この「人材アセスメント」の研究だったのだ。
K先生はお酒とカラオケが大好きで、僕はよく誘われていた。「釘さん、今夜あたりどうだ?」という感じで、2週間に一回のペースで飲みに連れて行かれた。
一軒目はたいがい和食の店。魚料理と日本酒でほろ酔い気分になったところで二軒目に突入。二軒目は先生の行きつけのカラオケスナックだ。
先生の十八番(おはこ)は、東京ロマンチカの「小樽の女(ひと)よ」。小樽は先生の出身地でもある。青春時代の思い出がたくさん詰まった街なのであろう。情感たっぷりに歌いあげる先生の歌声は、何度聞いてもゾクゾクさせられたものだ。
先生は飲みに行くたびに、戦前、戦中、戦後の動乱期の日本のことを話してくれた。同時に、先生のいくつもの恋物語も聞かされた。たいへんな時代だったはずなのに恋多き人だったのだ。
K先生と知り合って間もなく僕の父親が亡くなったこともあり、僕はK先生と飲むときは、父親と飲むような気持で接していた。
僕がH社を辞めて独立するとき、いちばん心配してくれたのもK先生だった。独立した後も、何度か電話や手紙をもらったりもした。本当の父親のような愛情を感じたものだ。
最近では年賀状のやり取りだけになってしまったが、先生はまだまだお元気なご様子だ。このコラムを書いていて、久々に先生の歌う「小樽の女よ」を聞いてみたくなった。
43番目の出会い。ロマンあふれる心理学の先生、K先生のお話しでした。
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