そして1991年春。パソコンで運用できる『人事情報システム』が完成した。S社から提供されたノウハウがふんだんに盛り込まれていた。
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余談だが、結局、S社にはこのシステムは導入されなかった。S社が求める性能に当時のパソコンの性能が追いつかなかったためだ。結局S社はオフコンと呼ばれるコンピュータを使うことになった。でもS社のおかげで、このシステムが完成したわけで、僕は今でもS社に陰ながら感謝している。
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この『人事情報システム』は、パッケージで一式100万円程度。いままでの大型コンピュータやオフコン(中型コンピュータ)で動作する同様のソフトに比べると、数分の一程度の安価な費用で導入できるシステムだった。
僕はこのシステムの企画責任者であると同時に営業責任者となり、販売促進に明け暮れた。
毎週、定期的にセミナーを開催し、自ら司会をし、デモンストレーションをしながらプレゼンテーションを繰り返した。
企業からの食いつきもよく、常に有望見込み客(商談につながっている会社)が10社ほどはあった。急きょ僕の下にこのシステムを売るための専任の営業マンが3名配置されたほどだった。
売れているときは、このシステムだけで、ひとりで月間1千万円以上を稼ぎ出したこともあった。
また大手航空会社へは、『パイロット管理システム』や『整備士管理システム』としてカスタマイズし、数千万円規模のシステムに作り変えたうえで売り込んだこともあった。
この『人事情報システム』の導入企業は、代理店を通じて販売したものまで入れると300社ほどになる。僕が直接関わった企業だけでも100社近くになるだろう。
現在パフの協賛企業になってくださっている企業の中には、僕との最初の出会いが、実はこのシステムがきっかけだったという会社も多い。
最初は「詐欺まがい」の営業から始まった『人事情報システム』。しかし、このシステムのおかげで、自ら商品を生み出す醍醐味を味わうことができたし、何より数多くの企業と知り合うことが出来た。
障害(バグ)の多かったシステムではあったが、障害が多く発生すればするほど、お客様との結びつきが深くなり、結果としてそのお付き合いが、形を変えていまでもつながっていたりする。仕事というのは、実に面白いものだ。
ということで、42番目の出会い。H社で手がけた『人事情報システム』。数多くの出会いのきっかけを生んでくれた、パッケージシステムのお話しでした。
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