釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第109話> 「首都圏コープグループの岩元さん」   2007/01/29  
 
生活協同組合である首都圏コープグループ(現在のパルシステムグループ)も、 パフの創業時からの顧客企業だ。

当時、人事課の主任だった岩元(いわもと)さんが採用の担当者だった。岩元 さんは僕よりも少しだけ年上。生協に来る前までは、お堅い金融機関で営業マ ンをやっていたという。また学生だった1970年代には、バックパッカーとして 世界各地を転々とした経験を持つ。

そんな岩元さんなのだが、首都圏コープ事業連合の人事課に来て間もない頃か ら、僕とのお付き合いが始まった。

僕がパフを立ち上げたばかりのころ、岩元さんはパフのことをとても気にして くださった。外に出す予定の仕事をリストアップしてくださり、その中でパフ が引き受けることのできる仕事のほとんどを、パフに出してくださった。

いまでもよく覚えているのが、学生向け会社説明会で使用するためのプレゼン テーションツールだ。パワーポイントで数十枚の資料の制作を引き受けた。そ れだけではなく、会社説明会の運営そのものも手伝った。当時のパフにとって は、この仕事がいちばん大きな金額の仕事だった。

岩元さんは、起業する人に対して「ぜひ頑張って欲しい」という思いを持った 人だったのだ。

この仕事をきっかけとして、首都圏コープグループの他の担当者の方々にも僕 の顔が売れていき、仕事の幅も次第に広がっていった。

岩元さんご自身は、途中から別の部署に異動となり、一緒に仕事をする機会が なくなってしまったのだが、岩元さんが敷いてくれたレールのおかげで、首都 圏コープの皆さんとは、以来、強い信頼関係を築き上げることができた。


翌年(パフ創業2年目)からは、首都圏コープグループの採用プロセスを一緒 に考え、実行していくことになった。いま風の言葉で言うなら「採用コンサル &アウトソーシング」を全面的に任せていただいた。

多くの人事担当の皆さんと、実に楽しく仕事をさせていただいた。特に、事業 連合の根本さん、樋田さん。東京マイコープの佐々木さんには、とても大きな ご恩を感じている。

そして一昨年のこと。岩元さんが、部長として人事部に戻ってきた。約6年ぶ りの再会だった。首都圏コープも、パルシステムグループという名前に変わり、 パフもずいぶんと人数が増えた。時の流れの速さを感じたものだ。

岩元さんとのお付き合いは10年以上になるのに、実はまだ一度も二人で飲みに 行ったことがなかった。

昨年の夏、初めて一緒に新富町(パフ創業の土地)のスナックに行った。そこ で久々にゆっくりと語り合った。

「どうせならありきたりのことじゃなくて、世の中を変えるくらいのことを、 パルシステムとパフとで一緒にやりましょうよ。いくらでも応援しますよ。パ フじゃなきゃやれないことをぜひ創り出していってくださいよ」。岩元さんは、 僕にこう熱く語ってくれた。

ちょっと脱線するが、この新富町のスナックで岩元さんのもうひとつの顔を発 見した。

岩元さんの歌う、サザンオールスターズが凄いのだ。桑田佳祐にびっくりする くらいそっくり。いや「そっくり」どころではない。桑田佳祐以上に、桑田の 歌が上手い。「いとしのエリー」などは、聞いていて心の底から痺れてしまう。 サザンの歌を30年近く聞いてきたが、これほどまでに上手く歌う人を、初めて 見た。


・・・とまあ、最後は余談になってしまったが、今後もますます首都圏コープ グループあらため、パルシステムグループさんとのお付き合いを、深く実り多 いものにしていきたい。「ありきたりではない、世の中を変えるくらい」のこ とを一緒に生み出していけたらと思う。

ということで、71番目の出会いは、首都圏コープグループ(現パルシステムグ ループ)の岩元さんでした。
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