生活協同組合である首都圏コープグループ(現在のパルシステムグループ)も、
パフの創業時からの顧客企業だ。
当時、人事課の主任だった岩元(いわもと)さんが採用の担当者だった。岩元
さんは僕よりも少しだけ年上。生協に来る前までは、お堅い金融機関で営業マ
ンをやっていたという。また学生だった1970年代には、バックパッカーとして
世界各地を転々とした経験を持つ。
そんな岩元さんなのだが、首都圏コープ事業連合の人事課に来て間もない頃か
ら、僕とのお付き合いが始まった。
僕がパフを立ち上げたばかりのころ、岩元さんはパフのことをとても気にして
くださった。外に出す予定の仕事をリストアップしてくださり、その中でパフ
が引き受けることのできる仕事のほとんどを、パフに出してくださった。
いまでもよく覚えているのが、学生向け会社説明会で使用するためのプレゼン
テーションツールだ。パワーポイントで数十枚の資料の制作を引き受けた。そ
れだけではなく、会社説明会の運営そのものも手伝った。当時のパフにとって
は、この仕事がいちばん大きな金額の仕事だった。
岩元さんは、起業する人に対して「ぜひ頑張って欲しい」という思いを持った
人だったのだ。
この仕事をきっかけとして、首都圏コープグループの他の担当者の方々にも僕
の顔が売れていき、仕事の幅も次第に広がっていった。
岩元さんご自身は、途中から別の部署に異動となり、一緒に仕事をする機会が
なくなってしまったのだが、岩元さんが敷いてくれたレールのおかげで、首都
圏コープの皆さんとは、以来、強い信頼関係を築き上げることができた。
翌年(パフ創業2年目)からは、首都圏コープグループの採用プロセスを一緒
に考え、実行していくことになった。いま風の言葉で言うなら「採用コンサル
&アウトソーシング」を全面的に任せていただいた。
多くの人事担当の皆さんと、実に楽しく仕事をさせていただいた。特に、事業
連合の根本さん、樋田さん。東京マイコープの佐々木さんには、とても大きな
ご恩を感じている。
そして一昨年のこと。岩元さんが、部長として人事部に戻ってきた。約6年ぶ
りの再会だった。首都圏コープも、パルシステムグループという名前に変わり、
パフもずいぶんと人数が増えた。時の流れの速さを感じたものだ。
岩元さんとのお付き合いは10年以上になるのに、実はまだ一度も二人で飲みに
行ったことがなかった。
昨年の夏、初めて一緒に新富町(パフ創業の土地)のスナックに行った。そこ
で久々にゆっくりと語り合った。
「どうせならありきたりのことじゃなくて、世の中を変えるくらいのことを、
パルシステムとパフとで一緒にやりましょうよ。いくらでも応援しますよ。パ
フじゃなきゃやれないことをぜひ創り出していってくださいよ」。岩元さんは、
僕にこう熱く語ってくれた。
ちょっと脱線するが、この新富町のスナックで岩元さんのもうひとつの顔を発
見した。
岩元さんの歌う、サザンオールスターズが凄いのだ。桑田佳祐にびっくりする
くらいそっくり。いや「そっくり」どころではない。桑田佳祐以上に、桑田の
歌が上手い。「いとしのエリー」などは、聞いていて心の底から痺れてしまう。
サザンの歌を30年近く聞いてきたが、これほどまでに上手く歌う人を、初めて
見た。
・・・とまあ、最後は余談になってしまったが、今後もますます首都圏コープ
グループあらため、パルシステムグループさんとのお付き合いを、深く実り多
いものにしていきたい。「ありきたりではない、世の中を変えるくらい」のこ
とを一緒に生み出していけたらと思う。
ということで、71番目の出会いは、首都圏コープグループ(現パルシステムグ
ループ)の岩元さんでした。
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