「なんだ、その上下逆さまのヘンなメガネは!?」と、心の中で叫んだことを
いまでもよく覚えている。説明会の席で、佐々木旭(以降、アサヒ)を最初に
見たときのことだ。
ヘンなのはメガネだけではなかった。髪型も、昭和30年代の小学生のような、
レトロな髪型なのだ。そう、映画『ALWAYS三丁目の夕日』に登場する、
鈴木オートの一人息子、鈴木一平君のような、オデコのラインが一直線の髪型
だった。
面接をしていてもヘンだった。上下逆さまの異様なメガネの先にある小さな目
から、僕の顔をマジマジと見つめてくるのだ。そして話し方が、とても情熱的
な一方で、すこぶるメルヘンチックでもあった。
話を聞いていて、なるほどと思った。アサヒは、アマチュアのフォークデュオ
を組んで活動しているというのだ。オリジナル曲を作って、ライブハウスや路
上などでも歌っているという。「ゆず」のコピーなどもやっているという。
時代は違えど僕もフォークシンガーを気取っていたことがあったので、その話
を聞いて、なんだかアサヒのことが可愛くなってきてしまった。だからという
わけでもないが(いや、案外フォークデュオのポイントは大きかったかな、笑)
僕はアサヒに内定を出した。
内定者時代から、ヨシカワ、タカノリ、フルカワとともに、ドブ板営業をずっ
とやっていた。内定者4名のなかでも、とかくリーダーシップを発揮しようと
するタイプで、よく皆と、飲みに行ったりとか遊びに行ったりとかを企画して
いたようだ。
2001年4月。いよいよ正社員としてのパフでの活動が始まった。内定者時代も
皆、真剣に働いていたが、やはり正社員となると責任も一段と重くなり、アサ
ヒへのプレッシャーのかかり方も、相当にきつくなっていった。
もともとアサヒは、メルヘンチックで自由人的な気質のところがあり、パフの
ドブ板的な営業活動に疑問を抱くことも多かったようだ。次第に一歩さがった
ところで自分を見るようになっていった。
営業活動にいまひとつ実が入っていない姿が気になってはいたが、同期のヨシ
カワやタカノリの手前もあり、僕は一律に、新入社員3人を前に、叱ったり、
怒鳴ったりの毎日を繰り返していた。
「釘崎さん、ご相談があります」
夏のシーズンを過ぎたころのことだった。アサヒから神妙な面持ちで、こう切
り出された。予想はしていたが、やはりそうだった。パフを辞めたいというこ
との相談だった。いろんなことを話した。アサヒは決して後ろ向きではなかっ
た。自分が持っている芸術的な才能を、パフではない、もっと別の場所で開花
させたいということだった。
そして最終的に僕は、退職を認めることにした。ただし年内いっぱいは、パフ
の中で頑張ることを条件にした。
アサヒは、辞めるまでの数ヶ月間、とてもよく頑張ってくれた。特に大きな功
績がふたつある。
ひとつめは、パフにとってとても大切なお客様との出会いを取り持ってくれた
ことだ。
このコラムの119話に登場した、三菱電機ビルテクノサービスの二馬さんと
の出会いがそれだ。アサヒが内定者時代から訪問していた企業で、正社員にな
ってからも、足しげく通っていたようだ。
アサヒがパフを辞めるにあたって、取引が中途半端になってはいけないという
ことで、アサヒは、二馬さんを僕に紹介してくれた。以来、パフと三菱電機ビ
ルテクノサービスとの太くて長いお付き合いが続いている。アサヒがいなけれ
ば同社との出会いとなかったわけだし、同社との取引のないパフを想像すると、
ゾッとしてしまう。
アサヒの功績のふたつめは、パフのイベント時に上映した映像である。ホーム
ビデオを使って、ミニ映画やミニCMを作ってくれた。『タカノリの1日』と
いう作品と、『勝手に企業CM』というのがそれだ。
理屈抜きで、本当に面白い。しかも、ちゃんとしたメッセージも込められてお
り、社会人1年目の新入社員が作ったとは思えない筋書きになっている。あれ
から6年たった今でも、アサヒが作ってくれたものを超える作品は出てきてい
ない。
アサヒはいま、業界大手の家電量販店で頑張っているという。このコラムへの
実名での掲載許可をとるために、久々にメールのやりとりをしたのだが、あの
頃と変わらぬ、夢と情熱を抱いて一生懸命生きている青年の雰囲気が、メール
文面の端々から感じ取れた。
結局アサヒとは一度も一緒にギターを弾いて歌うことがなかったが、ぜひ今度、
臨時のフォークデュオでも組んでみたいものだ。でもそのとき、メガネだけは、
上下逆さまのものは勘弁して欲しいと思う(笑)。
ということで83番目の出会い。新卒一期生のアサヒこと、佐々木旭との出会
いでした。
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