湯布院の冬はホントに寒い。
12月頃でも、雪の降る日は珍しくありませんでした。
その事件当日も、前日にまとまった雪が降り、登下校途中の道路には雪がたくさん積もっていました。
クラスの仲間とうち解けることのできなかった僕は、その日も学校が終わると、ひとりトボトボと家に続く一本道を歩いていました。
ぼーっと歩いていた僕の背後に人の気配を感じたと思った瞬間、うしろ襟をグイッと引っ張られて、冷たいものが背中に流し込まれていきました。
一瞬、何が起こったのか分からず振り向くと、そこには図体のでかい、いわゆるいじめっ子ども数名が、卑猥な笑いを浮かべながら、さらに大きな雪の固まりを、僕の襟首めがけて執拗に放り込もうとしています。
(たぶん)泣き叫びながら、必死に抵抗するのですが、多勢に無勢、攻撃の手は、いっこうに緩みません。
僕は、悲しいのと悔しいのと冷たいので、相当な混乱状態だったと思います。
と、その時です。
「やめなさいよー!」と、ひとりの女の子が、そのいじめっ子どもに飛びかかっていったのです。
「あんたたち、なにしよんの!」「こげんこつして、ひでーと思わんのかい!」
「先生にいうちゃるけんね!」
と、いじめっ子どもを睨み付け、見事に蹴散らしてくれたのです。
その女の子は、同じクラスの「礼子ちゃん」。
この時まで、一度も口をきいたこともなかった女の子でした。
彼女は、いじめっ子を追っ払った後「くぎさきくん、いっしょに帰ろう!」と言って、僕の手を握り、家まで送っていってくれました。
礼子ちゃんとその日の帰り道に交わした会話は、残念ながら思い出すことが出来ないのですが、礼子ちゃんのいじめっ子に放った威勢のいい啖呵と、手をつないだ側から見る礼子ちゃんの可愛い横顔(透き通るような白い肌と、大きい瞳、小さい唇…)は、33年経った今でもハッキリ覚えています。
唯一、礼子ちゃんから言われたことで覚えているのが、「負けちゃ駄目!」という言葉でした。
翌日から、クラスに礼子ちゃんという味方がいるということだけで、自然と勇気が湧いてきて、徐々に「暗黒の小学校一年生」を脱却することになりました。
初めての春休みを経て、2年生の始業式の日のことです。
クラス替えが行われ、指定された教室に入って真っ先に礼子ちゃんを探したのですが、礼子ちゃんの姿はどこにもありませんでした。
「何組になったんだろうなー…」と、他のクラスをのぞきに行っても礼子ちゃんは見あたりません。(当時3クラス編成)
意を決して、「先生、1年2組だった礼子ちゃんは、今度は何組になったん?」と聞いてみたら、ショッキングな答えが返ってきました。
「礼子ちゃんはな、お父さんの仕事の関係で、湯布院を引っ越したんよ。」
礼子ちゃんのお父さんは、湯布院の駐屯地に勤める自衛官だったのです。自衛官は転勤が多く、別の駐屯地に異動になったとのことでした。
ほんの数ヶ月しか、顔を合わせることのなかった礼子ちゃん。
でも、間違いなく僕の心には、ずーっと残っています。
「弱きを助け強きを挫く」という言葉や「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉が本などに出てくるたび、礼子ちゃんの威勢のいい啖呵を思い出し、少しだけ胸がキュンとしてしまいます。
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