1983年7月。
リクルートで営業の仕事を開始して早半年が経過したころでした。
自転車を転がして神田の街中を営業しまくっていたボクは、あるちっぽけな
ソフトウェア開発会社に出くわしました。
当時「週刊就職情報」という中途採用の就職情報誌があったのですが(現在
のB-ingの前身です)、そのSE採用欄にちっぽけなスペースで広告を掲
載していた会社でした。
その広告を見て、
「なんかチンケな会社やな。新卒採るんかな?まぁダメもとで電話してみる
か…」
とその会社の社長に対して電話をすると(当時リクルートのアポ電話は、社
長へのトップコールが鉄則でした)、
「あー、いいよ。いつでもいらっしゃい」
と意外にも先方の社長はフレンドリーな対応で、すんなりとアポが取れたの
でありました。
そしてすぐその日のうちに訪問して、お決まりのリクルートブックを営業し
たのですが…これまた意外や意外。
「ん、気に入った。来年からは新卒採用しよう!これで採用できるんだね」
とその場で50万円程度の媒体への掲載を即決されてしまったのでした。
契約はもらったものの素直に喜べない、少し複雑な心境でした。
だって、その会社は10坪ほどの超狭い事務所で社員も数名しかいない、
会社案内も未だ無いような会社だったんです。
「こりゃ、リクルートブックに掲載しただけじゃ、とても新卒の採用なんて
無理だな…」
そう思ったボクは、後日あらためて、ちゃんとした会社案内の制作、学生向
けのDMの企画などトータルで500万円ほどの企画を持っていったのでし
た。
そして、採用の実務についても、適性検査やら面接の段取りやら、こと細か
に提案し、「社長、こんな感じで進めていけば、なんとか数名の採用には結
びつくと思いますよ。ボクと一緒に初めての新卒採用を成功させましょう!」
と熱く語ったのでした。
さすがに500万円という金額は、当時のこの会社の規模や売上げからすれ
ばドデカイ金額だったのでしょう。
しばしの黙考の後、社長の発した言葉は、
「…よし、分かった釘ちゃん。釘ちゃんを信じて、この企画に乗ろう。
釘ちゃんに全部任すよ。そのかわり、とびきり上等な大学生をつかまえよ
うな!」
というものだったのです。
わずか2回目の訪問で500万円の契約。そしてボクのことを「釘ちゃん」
と超フレンドリーに呼びながら全幅の信頼を置いてくれた。
単純なボクはジーンと来てしまい、「よっしゃ、この会社の採用は絶対俺が
成功させてやる!」と、心に強く誓ったのでした。
この時、この社長34歳。ボクは22歳。
ただ、ボクは「実はまだ大学生」という身分は隠しており、リクルート入社
2年目の若手正社員ということになっていたわけで…。
このウソが、その後ボクの一生を左右することになるなんて、この時は夢に
も思っていなかったなー…。
(さてさてどうなることやら、と思いつつ次号につづく)
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