1983年8月。
リクルートで大学4年生向けの就職情報誌の営業を続けていた僕は、この頃か
ら、なんとなく矛盾というかジレンマを感じるようになってきました。
というのは、いろんな企業に
「リクルートブックに載せて優秀な学生を集めましょうよ!」
と営業して回っている自分自身が、実は就職を考えなければいけない大学4年
生だったわけで…その自分は、まだ就職活動の「し」の字も行っていない。
リクルートの仕事が面白かったもので、ついつい「いい気」になって自分の就
職のことなんか、そっちのけになってしまっていたのです。
僕をリクルートに引っ張り込んだのは、当時採用担当者であった兄貴だったの
ですが、おそらく彼の思いとしては、
「甘ちゃんの弟をリクルートで鍛えてやろう」
と、同時に
「使える営業マンに育ったら社員としての採用を考えてみよう」
ということだったのだろうと思います。
しかし…。
5~6月頃までは確かにリクルートの営業の仕事は面白かったし、周囲の社員
もスゴイ人たちばかりで、とても魅力的な会社であったのは事実なのですが、
自分が入る会社じゃないなー…この8月には感じ始めていました。
8月のお盆前の頃、営業所の所長に
「あのー、企業の採用や他人の就職の心配をする前に、ちょっと自分の心配
をそろそろしようと思うんですが…」
と2週間ほどの休みをもらい、自分自身の『就職活動』を行うことにしたので
ありました。
しかーし!
企業の情報源は、自分が日頃売り歩いている「リクルートブック」。
予備校の頃、駅弁屋でアルバイトしていて、しばらくの間、駅弁を食べること
ができなかった感覚に近いものがありました。
情報源の本だけならまだしも、企業に対しても日頃冷たくあしらわれっぱなし
だったし、『大企業であればあるほど採用に関して小狡い』現状を垣間見てし
まった僕は、どうも『就職活動』を行うことそのものに意欲を喪失してしまっ
ていたようです。
ということもあって、大学のゼミの先生に相談してみたところ、
「おー、クギサキ君。就職する気はあるわけだね。
じゃ、ここ行ってきなさい。あ、それともし九州に帰る気持ちがあるんな
ら帰省のついでで構わないから、福岡のこの会社を覗いてみないか…」
と東京で1社、福岡で1社、計2社をその場で、気軽に紹介してくれたのでし
た。
当時、僕は卒業するための単位はすべて取り終えていて、あと卒論を残すだけ
だったので、卒論研究と称してリクルートで毎日を過ごしていたのです。
ゼミの先生とは、すっかり疎遠になっていたのですが、やっぱり先生はありが
たいものです。
紹介された東京の1社は、大手薬品メーカー。CMなんかもバンバンやってい
る会社で、「ほー。ここに入れたら結構いいかな」と思いつつ指定された日
に、その会社の人事担当者に会いに行ったのでした。
(学生に戻ってしまった釘崎くん就職しちゃうの?…つづく)
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