1984年6月。
大手計測制御メーカーからシステム開発を受注して2ヶ月ほどの月日が経って
いました。
開発メンバーはボクを含めて3名。
1人は、SE歴15年の大先輩。もうひとりはSE歴2年の小先輩。そして経
験年数ゼロのボク、という組み合わせでした。
システム構成は大きく2つに分かれていて、計測装置に組み込むROMそのも
のを開発する部分と、実際に人が操作し、データの分析やシステムの監視を画
面を通じて行うパソコンシステムの部分です。
実は先輩の2人、いろんなシステム開発の経験はあるものの、パソコンのプロ
グラミングはまったくの初体験。
「え?」と思われるかもしれませんが、パソコンが、やっと世の中に出回り始
めたのがこの頃だったので、無理のないことかもしれません。
「釘ちゃんさー、俺たちもパソコンに関してはまったくの素人だからさー、
パソコンの担当は釘ちゃんがやっても俺たちがやっても一緒だよなー…」
「は?」
「うん、ということで、釘ちゃんがパソコンの担当ということで決まり!」
「え゛、じょ冗談でしょ?またー、は、はははは…え、マジっすか?」
ということで、システムのイロハも分からぬまま、独学でBASICなるプロ
グラミングと、以来2ヶ月間格闘することになったわけです。
この2ヶ月間、アパートに帰ったのは土・日含めて数えるだけ。
ボクの寝床は、会社の机の上に敷き詰めた古新聞。枕はMS-DOSの分厚い
英語のマニュアル。そして掛け布団は、とぐろを巻いたストックフォーム(プ
ログラムリストを出力した連続帳票用紙)といった売れっ子漫画家顔負けの、
想像を絶する生活が繰り広げられていたのでした。
そんなこんなで悪夢のような2ヶ月間が過ぎ去り…。
まがりなりにも組みあがったシステムを先方の担当者に見てもらう日がやって
きたのです。
先方の技術担当者であるE本さん。
「あ、釘崎さん、できましたかー?、難しかったでしょう。どれどれ動かして
みてくださいよ」
出来上がりに自信なんてまったくなかったのですが、えーい、もうどうにでも
なれ!という心境で、フロッピーディスクに格納したプログラムをパソコンに
読み込ませ、「RUN」というプログラム実行ボタンを押すボク。
担当者の顔が見る見る変わっていくのが、怖いほどよーく分かりました。
「む・むちゃくちゃですね。に・2ヶ月間かけて、こ・これですか…」
釘崎青年の、本当の地獄の生活は、ここから始まるのでありました。
(や・やっぱり死ぬのか?…つづく)
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