1989年3月。
釘崎青年28才の春前夜。
某人材スカウト会社からの紹介がきっかけで、大手コンピュータメーカーF社
の傘下にあるディーラーM社に転職することになったのです。
リクルートを離れて以来、丸5年間お世話になったS社との別れは、正直言っ
て、相当に辛いものでした。
S社の社長に対して、会社を辞めたい旨を告げたときには、本当に申し訳なく
胸が締め付けられる思いでした。
しかし一方で、ボクにはS社の会社としての土台作りや業績向上に大きく貢献
してきたという(今思えばたいへん思い上がった)自負があり、
「ここまでやったんだから、オレのこの会社での仕事はもう十分だろう」
という思いから、
「どんなに引き留められても絶対辞める。辞めるのは今しかない」
という、非情とも思える強い意志を持っていたのも事実であり…。
いろいろと悶着はあったものの、最終的に社長に辞意を受け入れてもらうこと
が出来ました。
しかし、社長に対してよりも、もっと辛かったのはボクが自ら採用してきたS
社の後輩連中への告白の時。
ものすごく自分勝手なことは承知しつつも、なんとか後輩連中には、自分が辞
めることによる動揺を最小限に食い止めるべく、転職を決意するに至った説明
を時間をかけて丁寧に行ったのですが…
「釘崎さん、オレたちのことは全然気にしなくて構いませんから、
どうか新しい会社でがんばってください!!」
逆にこんな風に励まされたものだから、ホント辛かったですね。
そして、S社での最終勤務日。
取引先の方々や、遠方に出張したり他社に出向していた同僚・先輩・後輩たち
から「ご苦労さんでした」の電話が夕方以降、何本も何本もかかってきて、感
極まって思わず泣いてしまったことを覚えています。
そして1989年4月。
世は、まさにバブルのころ。
(当時は、そんなバブルの感覚は一切ありませんでしたが…)
転職先M社での仕事が始まりました。
正確にはM社を経由して、ボクはコンピューターメーカーF社の丸の内にある
本社で、「OEM供給を受けたUNIXワークステーション販売支援」の為
の『Sプロジェクト』」に投入されたのでした。
うまれて初めて経験する従業員数万人の大組織での仕事。
また好景気が続く中 での超多忙だけど、バブリーな毎日。
リクルート時代でも経験したことのなかった、様々な刺激的な日々が待ってい
たのです。
(どんな刺激?…つづく)
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