1989年2月某日。
釘崎青年28才。
某人材スカウト会社のコンサルタントと池袋の喫茶店で待ち合わせをしていま
した。
この時のボクの気持ちは比較的冷めており、
「まぁ、話は聞くだけ聞いておいて損はないしな。よっぽど良い話なら考えれ
ばいっかな」
くらいの気持ちでした。
「あのー、釘崎さんですね…」
ボクが席に着くやいなや現れた、コンサルタントTさん。
非常に柔和な表情で、落ちついた物腰の、ジェントルマンといった感じの方で
した。
小一時間、話をしたでしょうか。
・ボクに転職の意志があるかどうかの確認。
・その場合、検討して欲しい会社が3社あり、その会社の概要説明。
が話の中心だったと思います。
最初の方は、冷ややかに話を聞いているだけだったのですが、最後の方では思
わず身を乗り出して自分からいろんな質問をしていました。
正直なところ、かなり心が揺れていました。
一晩じっくりと考えた末、
「よっしゃ、いっちょ転職してみるか!」
という結論を出したのです。
もちろん、在籍していたS社には、様々な恩もあり、またボクが採用した可愛
い後輩たちもたくさんいる。非常に悩ましい決断でした。しかし、自分の将来
を犠牲にすることはできない。自分を高く買ってくれる会社が、いま目の前に
いるこのチャンスを逃がしてはならない。
そう考えたのでした。
翌日、コンサルタントのTさんに電話で、その3社の話を今一度詳しく聞いて
みることにしました。
3社とも無条件にボクを受け入れるということではなく、一通りの面接試験を
経たうえでということでした。
3社中2社は外資系コンピュータメーカー。1社は国内最大手コンピューター
メーカー系の大手ディーラーでした。
ディーラー以外はSEとしてのみの採用。ディーラーはSEもしくは親元のメ
ーカーに出向して販売推進プロジェクトメンバーに加わることを前提とした採
用だったのですが、ボクがひかれたのは、後者の販売推進プロジェクト。
さっそくそのディーラーM社の面接を受けに行くことになりました。
出てきたのは、その会社のNo.2の専務と営業担当の取締役。
何を話したかはよく覚えていないのですが、面接は1時間ほどで、その後、そ
の会社が別会社として経営していた高級中華料理の店に連れて行かれ、ぜひ転
職を決心してほしい、という話になっていました。
先方の熱意あふれる誘いの言葉に、ほとんどボクの気持ちも固まっており、新
たな道への意欲が沸々と湧いてくる自分がそこにはいました。
問題は、5年間お世話になったS社の社長に何と言うか…。
また、後輩連中にどう説明するのか…。
この2つの事だけが気がかりでした。
(懐かしいなぁ…つづく)
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