S社でのボクの働きぶりは、自分で言うのもおこがましいのですが、新人離れ
したモーレツぶりだったと思います。
採用担当者として、毎年数名ずつ優秀な人材を確保するかたわら、SEとして
数々のシステム案件を受注し顧客に納得してもらえるシステムを開発し続けて
おり、取引先から厚い信頼をいただけるようになっていました。
ボクが評価されていた点は技術力ではなく、エンドユーザーとの交渉能力・交
渉姿勢や、トラブルが発生したときの迅速な対応力、そしてプロジェクトメン
バーの志気を維持させながらタイトな開発スケジュールをこなしていったチー
ム統率力といったものだったように思います。
とにかく我ながらよく働きましたが、その原動力となっていたのは2つ。
1.がむしゃらに働くことによって会社を成長させ、自分の会社選択の正し
さを周囲(特に親兄弟)に証明したかった。
2.自分の働きにより顧客が大きな信頼を寄せてくれ、様々な新しい仕事を
発注してくださっていた。
この2つが、ボクをモーレツに働かせた大きなエンジンだったのですが、悩み
も次第に大きくなっていったのでした。
この悩みも大きく2つありました。
1.低すぎる収入。
2.このままSEの道を歩んでいっていいのだろうか、という疑問。
収入については、ホントに洒落にならないくらい低レベルでした。
とくに入社3年目くらいまでは、家賃を払って光熱費を払うと、もう手元には
数万円しか残らず食事さえ不自由するような状態。電話代の滞納常習犯で、不
通になることもしばしばでした。
1~2年目の頃は、「会社さえしっかり大きくなれば…」と、さして不満
に思うこともありませんでしたが、3年目以降、自分の働きに自信を持つよう
になっていたボクは、次第に社長に対する不信感を持つようになってしまいま
した。
しかし、変なところでプライドが高いと同時に気の弱いボクは、
「カネのことでグチャグチャ言うのは男らしくない」などと自分に言い聞か
せてしまい、不満を内に募らせるようになっていました。
それと、もっと根本的な問題。
元々SEになろうと思っていたわけではなかったボクは、SEとしての仕事を
バリバリとこなせばこなすほど、顧客から誉められれば誉められるほど、満足
感を得る一方で、「このまんまでいいのだろうか?」と思うようになっていた
のです。
自分は確かに与えられた仕様に基づいて、最適なシステムを設計したりプログ
ラムを考えたりすることにおいては能力を発揮していたと思いますが、自分の
本来の能力・持ち味は、もっと全く違うフィールドにあるのではないかと思う
ようになっていました。
それと元々ボクは、細かいことを理詰めで考えるのが苦手なタイプで、SEの
仕事で上を目指すには性格上きっと近い将来破綻を起こすのでは?と思ってい
たのです。
普通ならば
「よし、転職を考えよう!」
と考えるところですが、義理人情で入社したこの会社を自発的に去るという考
えには、なかなか向かうこともできませんでした。
将来の人生設計について、いろいろな悩みを抱えながら仕事を続ける内に5年
の月日がすでに流れていました。
1989年2月。
釘崎青年が28才の頃です。
会社で仕事をしていたボク宛てに1本の電話が突然かかってきました。
「えー、私、○○(某人材スカウト会社)のKと申します。
突然のお電話で恐縮なのですが、内々に一度お会いさせていただけないでし
ょうか?」
「は?なんのご用件ですか?」
「釘崎さん御自身のキャリアアップにつきまして…いや、実はある会社で
釘崎さんのような経歴の方を強く望まれておりまして…」
この1本の電話が、ボクのその後の人生の大きな転換点となったのでした。
(どうすんの?会うの?…つづく)
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