時は1995年の夏。
もう青年と呼ぶには、やや躊躇せねばならぬ年齢になっていたクギサキ(元)
青年はH社の社長の社長室に呼ばれ、
「クギサキくんさ、最近インターネットの話題を、ちらほらと耳にするんだけ
ど、インターネットで求人情報を提供するビジネスなんてどう?」
と尋ねられ、
「さ・さぁー、まだまだ世の中に受け入れられないんじゃないっすかね…」
と、それじゃなくてもいろんな仕事を抱えてたいへんだったボクは、テキトー
に、その場をあしらっていました。
が、しかし、どうやらこの社長、本気でこの事業をやりたい様子。
「そんなことないんじゃない?まだ強力な競合がいない今だからこそやる価値
があるんじゃない?」
ボクは、「さっすが、経営者だなー」と正直感心したことを覚えています。
そして…
「しかし、来年ビジネスにするんだったら、97年の新卒採用情報に間に合わ
せないと、丸々1年無駄にすることになりますよ。
ということは、遅くとも12月にはオープンしなきゃ。
ということは、事前調査とか仕様の設計とかいろいろ考えると、今すぐ大急
ぎで始めないと間に合いませんよ!」
(あ、言っちまった…。結局オレがやることになるんだよな…)
この予想は見事に的中し、
「うん、そうだね、クギサキくん、じゃ早速このプロジェクトを進めてくれる?
一回目の企画会議いつやる?2週間くらいあれば企画書大丈夫?」
(なーにが、『進めてくれる?』だよ。ったく…)
と思いつつも、そこはしがないサラリーマン。表面的には意気に感じたフリを
して、
「は、はい、わかりました。いやー、なかなか面白そうですねー」
と言ったかどうかは記憶が定かではありませんが、なにしろ猶予期間3~4ヶ
月の間に、商品をひとつ作らなければならない。
しかも、今までまったく経験したことのない、インターネットのメディア作り。
紙メディアならば、その昔「リクルートブック」をさんざん売り歩いた経験が
あるので、なんとかなるのだが…。
ボクは当時「インターネット」なるものの名前はかろうじて知っていたものの
いったいどういうシロモノであるのか、実はまったく知りませんでした。
翌日から本屋に行っては、インターネットと名の付くものがあれば片っ端から
立ち読みする(ケチなのでなかなか買わない)生活が始まりました。
(まー、要は普通の就職情報雑誌が、PCの画面上に展開されるわけだな。
あとは資料請求ハガキの代わりになる仕組みを考えて、検索性なんかも高め
る仕様にすれば何とかなるかな…)
なんて比較的単純に考えながら、「インターネット求人情報メディア」の基本
設計をIめるクギサキ(元)青年。
1995年夏。windows95の正式リリースを控え、パソコンの個人への普及が始ま
った頃の出来事でした。
(最終回までまだまだ波乱がありそう。…つづく)
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