引き続き1997年10月下旬。
会社を作るための最低資本金が、1000万円。
現在手元にある金額が(兄からの出資分もいれて)200万円。
あと800万円を、なんとか調達しなければ会社を設立することができない。
ボクは昔からの仲の良かった友人を中心に、ひとりひとり連絡をとり、新会社
の事業計画を説明し、いずれ利益が出たら配当することを約束し、出資者を募
ることにしたのです。
いちばん多く会ったのは、大学時代の同輩・後輩。
「俺さー、会社作ることにしたんだ。ついてはお前に株主になって欲しいんだ
けど…ついては1株でも2株でもいいから、出資してくれんだろうか!」
いつもは、ヘラヘラとふざけていたボクが、かなりの真面目モードで迫ったこ
ともあってか、
「わかった、お前が会社作るんだったら、なんとか協力するよ!」
と、会った友人ほぼ100%から出資の約束を取り付けることができました。
1株で5万円、2株で10万円の出費。サラリーマンにとっては、極めて大き
な金額です。しかも、返ってくる保証は(その時点では)まったくと言ってい
いほどない。
また、この年は、橋本内閣の失政により、景気が奈落の底に落ち始めた時でも
あり、企業の倒産が相次ぎ、経済の先行きが非常に暗い頃だったのです。
それにもかかわらず、みんな出資を快く引き受けてくれたのです。
人数にして、約10数名。
感謝の言葉もありませんでした。
しかし、それでも集まったお金は、まだ300万円程度。
「んー、まだまだ前途多難だな~」
この時、救世主となってくれたのが、現在、パフの協賛企業でもある株式会社
オプト社長の鉢嶺さん。
オプトは当時、FAXを利用した営業・販売支援企画を企業に提供しており、
ボクは、「登龍門」の販促を通じて、お付き合いをさせてもらっていました。
同時にオプトの新卒採用を「登龍門」を通じて行ってもらう関係でもあり、鉢
嶺さんとは、かなり密なお付き合いをさせてもらっていました。
この時、鉢嶺さんは29歳の好青年。大学卒業後、ある大手企業を経たのち、
会社を設立・成長させてきた、若きベンチャー経営者でした。
釘 : 「鉢嶺さん、ボクついに会社をつくることにしましたよ!」
鉢 : 「へー、おめでとうございます。よく思い切りましたねー。
いやー、釘崎さんが会社をつくるなんて、楽しみだなー…。
で、株式会社ですか?よく資本金を用意できましたねー」
釘 : 「い、いや、それがまだそれはこれからで…」
鉢 : 「え?あ、そうなんですかー…。
よし、わかりました。じゃあ、ボクが出資してくれそうな
ベンチャーキャピタルの方を紹介しますよ」
こうして、話はトントン拍子に進んでいき、数日後、起業家支援を手がける
ベンチャーキャピタルのオーナーの方と面談することになったのでした。
(1000万円までの道程は遠いなー…つづく )
|