1998年1月1日 。
ついにパフとしての新しい年が始まった。
ボクはこの日、長野にあるカミさんの実家に来ていた。
“初日の出”とともに起きて、長野の新鮮な空気を吸いながら、これから始まる会社の成功を祈願し、一年の計画を、じっくりと考えよう!
なーんて、思っていた。
が!!
元日の朝、ボクは青ざめた顔でうんうん唸りながら布団の中に潜っていた。
31日に新宿駅で買って「あずさ号」の中で食べた「から揚げ弁当」にアタってしまったのだ。
結局、正月三が日、布団の中とトイレの往復だけで過ごすという、最悪の情けない一年のスタートを切ってしまったのだった。
ボクは、二日酔いで下痢は良くするものの、食アタりなんて、高校時代に下宿屋の集団食中毒に巻き込まれたことぐらい。
なので、この食中りは辛かった…。
まー、独立を思い立ってからの2ヶ月間は連日張り詰めた気持ちで過ごしており、その疲れが一気に出たのであろう。
世の中が休みのときの食アタりで、かえってラッキーだったのかもしれない。
仕事が始まってから、いきなり
「いや~、食アタりで3日間、休んじゃいまして~へへへ…」
というのでは、あまりにも格好悪い。
ともあれ、1月4日にはすっかり体調も元にもどり、翌日からの正式なパフの仕事始めに備え、東京に戻ってくることができた。
1月4日(日)夜。
誰もいない、中央区新富町のビルで、ひとりパソコンに向かいながら、今後の事業計画を「イヒヒ」「フヒヒ」と、妄想を膨らませながら練り上げようとしているボクであった。
気がつけば、時計はもう、夜中の2時を回っていた。
「腹減ったっ!ローソンで、おでん でも買って食べよう。
カミさん経費で落としてくれるかな…」
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