自転車操業物語 プロフィール
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  第07話    「“しゅうかん会社説明会”掲載申し込み殺到!」    
1998年2月中旬。

数千社の企業に、爆弾を落とすかのごとく、会社説明会告知速報メディア
「しゅうかん会社説明会」の案内を数千社の企業に一斉にFAXした。

果たして申し込みは来るのか…。

その答えは翌日からすぐに出た。

当時パフのFAXは、家庭用の3万円程度の感熱紙FAX。

「ぴーひょろろろろろー、ガーガーガー」
「ギー、ガッチャン(カッターが感熱紙を切る音)」

この音が朝からずーっと狭いパフの社内に鳴り響いていた。

「おー、来た!」「おー、また来た!」「おー、またまた来た!」

ボクは、一人ではしゃいでいた。


少し話は逸れるが…

設立当初の事業計画では、Webサイトを正式に立ち上げるのは、その年の秋口の予定だった。

これは、ボクが前職の会社で運営していた「登龍門」に遠慮して、すぐには競合になりたくなかったためである。
しかし、背に腹は変えられない。会社説明会に対象を絞り、違うメディアとしての特色を出せば、ぎりぎりの道義は果たせるだろう…。

「登龍門」は、1995年、ボクがある会社(H社)の社員時代に立ち上げた就職情報Webサイトである。

当時はまだ「インターネット」そのものが市民権を得ておらず、企業に営業する際に「インターネット講義」だけで時間を費やしたものである。

「そーんな、訳のわからんインターネットで採用なんかできるもんか!」

「そんなの見てくる学生なんか、オタクもいいところだろ?
          10年経ってもうちの会社は、そんなの使えないよ!」

まるで数十年前の会話のようだが…。
ともあれ、こんな感じの商談を繰り返しながら、苦労と失敗を重ねつつ、精魂込めて育て上げてきたWebサイトが「登龍門」だった。

「今までになかった自分らしい就職情報サイトを立ち上げよう!」
こう思って立ち上げた会社がパフだったので、いつかはこの手塩にかけて育てた「登龍門」を敵にしなければならないだろうなぁ、ちょっと辛いなぁ、という思いが実はあった。

…と、まぁ、こんなちょっと複雑な思いが脳裏をかすめながらもFAXは鳴り響く。


「す、すっげー、申し込み社数が50社を超えちゃったよー!」

ボクの頭の中では、福沢諭吉先生が、フォークダンスを分身の術を使いながら輪になって踊っていた。

3週間無料掲載…4週間目からは有料で全社継続。

そう信じきっていたのだった。

(とりあえず大量受注おめでとう!つづく)

 
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