1998年2月中旬。
数千社の企業に、爆弾を落とすかのごとく、会社説明会告知速報メディア
「しゅうかん会社説明会」の案内を数千社の企業に一斉にFAXした。
果たして申し込みは来るのか…。
その答えは翌日からすぐに出た。
当時パフのFAXは、家庭用の3万円程度の感熱紙FAX。
「ぴーひょろろろろろー、ガーガーガー」
「ギー、ガッチャン(カッターが感熱紙を切る音)」
この音が朝からずーっと狭いパフの社内に鳴り響いていた。
「おー、来た!」「おー、また来た!」「おー、またまた来た!」
ボクは、一人ではしゃいでいた。
少し話は逸れるが…
設立当初の事業計画では、Webサイトを正式に立ち上げるのは、その年の秋口の予定だった。
これは、ボクが前職の会社で運営していた「登龍門」に遠慮して、すぐには競合になりたくなかったためである。
しかし、背に腹は変えられない。会社説明会に対象を絞り、違うメディアとしての特色を出せば、ぎりぎりの道義は果たせるだろう…。
「登龍門」は、1995年、ボクがある会社(H社)の社員時代に立ち上げた就職情報Webサイトである。
当時はまだ「インターネット」そのものが市民権を得ておらず、企業に営業する際に「インターネット講義」だけで時間を費やしたものである。
「そーんな、訳のわからんインターネットで採用なんかできるもんか!」
「そんなの見てくる学生なんか、オタクもいいところだろ?
10年経ってもうちの会社は、そんなの使えないよ!」
まるで数十年前の会話のようだが…。
ともあれ、こんな感じの商談を繰り返しながら、苦労と失敗を重ねつつ、精魂込めて育て上げてきたWebサイトが「登龍門」だった。
「今までになかった自分らしい就職情報サイトを立ち上げよう!」
こう思って立ち上げた会社がパフだったので、いつかはこの手塩にかけて育てた「登龍門」を敵にしなければならないだろうなぁ、ちょっと辛いなぁ、という思いが実はあった。
…と、まぁ、こんなちょっと複雑な思いが脳裏をかすめながらもFAXは鳴り響く。
「す、すっげー、申し込み社数が50社を超えちゃったよー!」
ボクの頭の中では、福沢諭吉先生が、フォークダンスを分身の術を使いながら輪になって踊っていた。
3週間無料掲載…4週間目からは有料で全社継続。
そう信じきっていたのだった。
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